ニュートラルな気づき 


by honnowa
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<   2009年 03月 ( 14 )   > この月の画像一覧

『かみそりの刃』 読了

タイトル    かみそりの刃 (世界文学全集40所収)
著  者     サマセット・モーム
訳  者     中野好夫
発行所     講談社
発行日     1970年6月18日第1刷発行
         1975年4月20日第5刷発行
Cコード    
内 容     一組の恋人と周囲の人々の人生の選択を描く
動 機     『月と六ペンス』と同じ本なので
私の分類   楽しみ
原作発表   1944年(昭和19年) 70歳
感 想

モームは大変に長生きした人で、1874年(明治7年)から1965年(昭和40年)、91歳で亡くなりました。
その間著作活動は1962年の回想録を除き、1958年の84歳まで続けられました。
巻末の「年譜」には、モーム自身の事柄の他に、その年の日本と世界の文学的トピックが記されていますが、それをみると、文学に力があった時代の人だということがわかります。
それらの文学作品群と比べるとこの『かみそりの刃』は、やや通俗的な感じがしますが、その分物語らしいとも言えます。

モームが一番描きたかったのは、ラリーという青年ですが、この青年は誰をも魅了する大変にチャーミングな青年で、やや自分勝手に行動するきらいはあるものの、周囲とうまく生活していたのが、ある体験を機に無常観に捉われるようになり、自分の生き方を模索するようになります。
青年は観念的な思索の旅に出、ついにはインド哲学にまで辿り着きますが、その行動を周囲の人間は理解できず、さまざまな軋轢を生むのですが、やさしい青年はなるべく軋轢を生まないように振舞うため、小説の中で大きな葛藤にならず、それゆえテーマにもなりきっていません。
わたしにはスピンオフ作品が本編に入り込んでしまったような、関連があるのだけど、別の物語を読んでいるような奇妙な印象を受けました。

モーム自身がインド哲学に触発されてこの青年を創出したのですが、当時の西洋人からすればモームをもってしても東洋哲学の理解がこの程度というか、難解なものだったのかなと推察されますが、それ以上に心の旅を続ける人物を三人称で書くこと自体に無理があるような。
これは『かみそりの刃』に限らず、『月と六ペンス』にもいえることで、ただ『月と六ペンス』は画家の内省の結果が絵画に反映され、それを「私」が観たり、または他の観た人物が「私」にその印象を語るから、具体的記述になるのですが、ラリーの場合は、本人がなんらかの哲学的結論を出していないし、最終的には思索をさらに続けることを決めたというだけに留まっているのです。
他が小道具も駆使し、生き生きとした具体的描写で展開されているので、物欲もなくなったラリーのエピソードだけますます具体性に欠け、なんとも曖昧なのが目立ってしまってます。
作者としてはタイトルのように鋭く、西洋文明と東洋文明の隔絶を表わしたかったのだろうと思うのですが。
しかしモームもそれはわかっていることで、作中、「彼の心の奥まで探りうる自信など毛頭ない」とか、冒頭はまるで著者の言い訳だし、まるまる1章がラリーとの会話になっている第6章については、「読み飛ばしていただいても一向差し支えない」とまで書いてしまっています。

『かみそりの刃』に限らずダンテの『新曲』で明らかなのですが、高尚な精神性を小説で描こうとすると、どうしても文学の限界が出てきますね。
俗っぽいことや悪意なら、いくらでも面白い描写が可能だというのに。
その限界を突き抜け、しかもあくまで上品でかつ小説としての面白さを保った作品を見つけ出したいものです。

メインであるラリーのエピソードの比重が隠し味の塩くらいとすれば、あとの分量は彼の周囲の6人の人物のエピソードが占めます。
なかでもエリオットのユニークさは際立っています。
アメリカ社会の俗物ぶりを軽蔑し、優雅なヨーロッパ貴族社会の社交界に生きようとするアメリカ人ですが、その獅子奮迅のバイタリティーが完全にアメリカ人です。
その徹底振りがある意味マニアックで、わたしはこういうマニアな人物が大好きです。
それからラリーの婚約者で、結局ラリーが煮え切らないために諦め他の人と結婚した、エリオットの姪であるイザベル。
『月と六ペンス』の画家の妻といい、モームは女性をとてもよく観察していますし、男性目線でなく徹底した客観視で描写しています。

それからシュザンヌという女性、本筋には関係がなく、物語の箸安め的な存在ですが、こうした脇役作りも見事だと思います。
モームがうまいのは人物描写だけでなく、登場人物たちの服装、生活様式、家の様子、調度品など小道具の描写も丁寧で、モームの博学ぶりが伺えます。
『かみそりの刃』は第1次世界大戦から第2次の間の設定になっていますが、エリオットがあくまで古き良きヨーロッパ趣味を求めて主に古典作品を収集していたのを、彼の死後、現代っ子のイザベルが印象派以外は全て処分し、さらに「もっと新しければよかったんだけど。たとえばピカソだとか、マチスだとか、ルオーだとかといったようにね。<省略>ちょっと古臭いんじゃないかしら」と言わしめているところに当時の絵画の流行もわかって、そういうエピソードも美術好きの私にはいい薬味でした。
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by honnowa | 2009-03-29 14:33 |
You Tube で、沢田研二さんの愉快な動画を見つけました。

  『おちゃめでごじゃりますがな』

1989年から1998年まで続いたジュリーの音楽劇 ACTシリーズの第10作目、『ACT むちゃくちゃでごじゃりまするがな』(1998/11/19 東京 グロ-ブ座 )の中の一曲です。

ジュリーはちょうど50歳。
相当貫禄がつきましたが、それでもやはり美男子ですね。
この容貌ならば、往年の岡田真澄さんや竹脇無我さんのようなダンディーな2枚目としてシックな演劇や洋物ミュージカルができそうなものなのに、おそらく正統派中年2枚目を求める時代の要請もなく、またご本人にも全然その気がなく、動作にしっかり藤山寛美が入った真性3枚目になっています。

歌っているのはジュリーのソロデビュー曲『君をのせて』
若い頃はこの歌が難しくて歌うのが嫌だったそうですが、大ベテランともなれば楽勝で歌ってますね。
余裕がありすぎて、ジュリー思いっきり変なポーズをしています。

最初は詞に合わせた動きかなと視ていたのですが、どうにもおかしな不思議な動きで、何度もリピートして、やっと銅像のポーズをしていることに気付きました。
さあ、ここでクイズです。
ジュリーはどんな銅像の真似をしているのでしょう。
正解は知らないんですよ。
どなたがご存知の方、答え合わせをお願いします。
ではわたしの答えを披露しますね。

『君をのせて』 (作詞 岩谷時子)

風に向いながら
皮の靴をはいて
肩と肩をぶつけながら
遠い道を歩く

僕の地図はやぶれ くれる人もいない  (昔の小学校に建っていたニ宮金次郎)
だから僕ら 肩を抱いて 二人だけで歩く  (ニューヨークの自由の女神)

君のこころ ふさぐ時には 粋な粋な歌をうたい  (※1)
アーア 君をのせて夜の海を 渡る舟になろう  (※2)

人の言葉 夢のむなしさ  (立ったままで、長崎県の平和祈念像
どうせどうせ 知ったときには  (ロダンの考える人)
アーア 
君をのせて 夜の海を
渡る舟になろう  (ベルギーのしょんべん小僧)
♪  (長崎県の平和祈念像)

さて※1の箇所ですが、わからないですよね。
ジュリー、土下座してますよね。
そこで試しに「土下座 銅像」で画像検索してみましたら、ありました~!
京都の三条大橋東詰にある『高山彦九郎先生皇居望拝趾』だそうです。
失礼いたしました、土下座ではありませんよ、京都御所を拝礼しているお姿ということです。
京都では待ち合わせ場所として、とても有名だそうです。
ということは京都育ちのジュリーにも馴染み深い像なのでしょうね。

  『歴史~とはずがたり~』より 『高山彦九郎は「土下座」?いえいえ、これは「遥拝」!』  

  『殿軍 Shingari 』より 『銅像紀行 No.040 ~待ち合わせは土下座の下で~』

※2は、本当は『弓をひくヘラクレス』(エミール=アントワーヌ・ブールデル 国立西洋美術館所蔵)かなと思うのですが、足場の都合で『ロビン・フッド』になっています。
弓を引くポーズなので、世界のどこかにはウイリアム・テルで似たようなポーズの像があるかも知れず、日本のどこかには那須与一の像があるかもしれず、探し出すとキリがないので、『弓をひくヘラクレス』にしておきましょう。

それにしても観客のみなさん、すごいですね。
反応がよくて驚いてしまいました。
わたし、もしこの舞台を1、2回直接観ても、きっとわけがわからなかったと思います。
しょんべん小僧は、ピンとくるまで理解に苦しみましたよ。
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by honnowa | 2009-03-28 15:53 |

『月と六ペンス』 読了

タイトル    月と六ペンス (世界文学全集40所収)
著  者     サマセット・モーム
訳  者     中野好夫
発行所     講談社
発行日     1970年6月18日第1刷発行
         1975年4月20日第5刷発行
Cコード    
内 容     画家ゴーギャンをモデルに、人間の深層の不可解性を描いたもの
動 機     ゴーギャンについて語られる際に、必ず取り上げられる作品だから
私の分類   勉強
原作発表   1919年(大正8年) 45歳
感 想

久しぶりの長編小説、しかも翻訳もの、しかも40年ほど前の訳ということで、いろいろなことに想いを巡らせながらの読書になりました。

まず訳が硬い。
気持ちが物語の世界に入っていくのに、数章を要しました。
わたしが子供のころ学校の図書館に置いてあった文学全集は1970年発行のこの本と、同じ時代か、おそらくもっと前の発行になるでしょうから、子供のころはこんな硬い文章を平気ですらすら読んでいたのかと、我ながら驚いてしまいました。
こんなことを考えながら読んだのは、読む前に知人に『月と六ペンス』を読んだか訊いたら、「学生時代に通過儀礼で」と言われたからです。
確かに、わたしは読まなかったものの、この小説のことは知っていました。
書店にも図書館にも必ずありましたし、青春の書として推奨もされていたと思います。
ただ当時はタイトルから、なんとなくお伽めいたロマンティックな話しをイメージしてしまい、わたしは避けてしまいました。
学生時代はミステリーとSFを一番読んでいたので、モームが英国のスパイとして諜報活動をしていたというエピソードを知っていたら、絶対に読んでいたのですけどね。

もし学生時代に読んでいたならば、この作品の感想は現在の感想とは真逆になりそうです。
芸術家とはこのように複雑で常人とは相容れず、孤独に生きなければけしてよい作品は描けないと、モームが創作した画家像を完全に鵜呑みにしたでしょう。
しかし現在のわたしが読むと、画家の掘り下げ方が単純に感じてしまいました。
「深層の不可解性」と解説にはありましたが、この作品が執筆されたのは1918年、90年前のことで、現代人の心理がもっと複雑化してしまっていること、またモームの描いた画家像が、孤高の天才画家のパターンとしてすっかり定着してしまっていることもあります。

それにしてもわたしは子供のころから若いうちはずっと、天才とは、孤独で世間とはうまく付き合えないものと思い込んでいたのですが、そのイメージはどこからもたらされたものなのでしょう。
どうもこの『月と六ペンス』の創られたゴーギャン像と、一般に伝わるところのゴッホの生涯にありそうです。
天才と呼ばれた画家は大昔からいましたが、近代以前はパトロンとうまくやっていけないと絵を描くこともできなかったので、天才は一方で如才ない商人であり社交家でした。
長い美術史の中では近年の、ごく一部の画家の人生が、画家とはこうしたものというステレオタイプに定着しているのは、よくよく考えてみると不思議なことです。

ゴーギャンの影響はそうとう強烈で、こうしてモームに小説を書かせ、大正期の日本ではタヒチに行ったゴーギャンを真似して多くの画家が大島に渡りました。


《関連記事》

  『「月と六ペンス」を読みます』 (09/03/11)
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by honnowa | 2009-03-26 05:16 |
これは昨夜、パソコンの画像を整理しているときにたまたま見つけた方法です。
こういう便利な技を自力で見つけると、ガッツポーズしたくなりますね。
これは便利ですよ。
ふふふ、明日は職場でプチ自慢しなくちゃ。

複数のファイルを選択します。
先頭にしたいファイルを右クリック、「名前の変更」を選びます。
ファイル名を変更し、その後に半角スペース、半角(1)と入れて、[ENTER]を押します。
以降、同じファイル名で(2)・・・ と連番になります。
もし先頭ファイルに(1)を付けなかった場合は、2番目のファイル以降が(1)・・・ と連番になります。

後で調べましたら、VIST では、コマンドができていたり、もう一手間省いた方法で変更できるようです。
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by honnowa | 2009-03-15 12:40 | 初めての・・・

dat ファイル

職場の方が、拡張子が「dat」なるファイルを受け取りました。
開かない、どうしてと訊かれて、仕事上必要なファイルで、そのdat ファイルに取り組むことになりました。

このところ詳しそうな方からの凝った?仕掛けのメールが届き、簡単に開かず面食らうことが増えてきました。
パスワードやら拡張子の変更やら。
セキュリティーの為とはいえ、あまりいろいろなやり方が生まれると対応する方は大変です~
でも開けないと悔しいので頑張ります。

さて件のファイルですが、メール本文には、「開くでなく、表示にすると見られます」という謎の文言が記されていました。
「Outlook Express 」には、「開く」と「保存」しかないのですが、「表示」って?
メーラーに「Shuriken」を使っている方に尋ねましたら、「表示」があるというので、メールを転送して見てもらいましたが表示されませんでした。

ウ~ム。
そこでdat について調べましたら、いかなるものかはすぐわかったのですが、簡単に言うとどんなファイルでもdat ファイルすることができるものの、それを直接開くことはできず、開くにはもともと何のファイルか先方に確認し、そのアプリケーションソフトから開くか、拡張子を直接変更するしかない。
または「極窓」なるフリーソフトをダウンロードすれば、判別と変換ができるそうです。

  『BINARY 拡張子辞典』より 『.dat 』

  『教えて君.net 』より 『メールに拡張子が「.dat 」の添付ファイルが付いてきた。何これ?』

それで1つひとつトライしてみることに。
Wordから開いてダメで、次にExcelから試したらちゃんと開きました。
しかし先方にも中身を見られない旨連絡していたので、間もなくExcel ファイルで送り直してきて下さいました。
だったら最初から・・・ ねえ。
その方がどうしてdat ファイルで送ってこられたのか、理由は伺っていません。
わざわざ dat ファイルにするメリットは何なのでしょう?
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by honnowa | 2009-03-15 08:11 | 初めての・・・
  シロップ様

こんにちは。
ジュリーのコンサートツアーの日程が出ましたね。
シロップ様は参加されるのでしょうか。
わたしは行ってみたいのですけど、一人では行けません (>o<)

しばらくの間、非公開コメントできるようにしておきますので、宜しければご連絡下さいませ。
 

コメントありがとうございました。
メールを送りましたので、万一届いてない場合は、またこちらにご連絡下さいませ。


メールありがとうございました♪
こちらこそどうぞ宜しくお願いします。

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by honnowa | 2009-03-14 09:41 |
前回の記事(09/02/24)の続きです

ものさし鳥でもう一つ覚えたいのがムクドリです。
スズメとハトの中間の大きさになります。
身近な鳥なのですが、これまで鳥に興味がなかったので、ムクドリなのかツグミなのかヒヨドリなのか、さっぱり区別がつきません。
この3種もここで覚えてしまおうと思います。

  《ムクドリ》
全長24cm。ヒヨドリより一回り小さい。
黒っぽい体。
嘴と足はオレンジ色。

鳴き声は「ギャーギャー」「ギュルギュル」など。

足を交互に出して歩きながら地面で虫を捕らえる。

はばたきを休んでも下降しないので直線的に飛んでいるように見える。

留鳥。

  《ヒヨドリ》
全長27cm。
青味を帯びた灰色の体。日陰では黒く見える。頬に褐色の部分があり、よく目立つ。
尾は少し長い。

鳴き声は「ヒーヨ!ヒーヨ!」と聞こえる

飛ぶときは数回羽ばたくと翼をたたんで滑空するパターンを繰り返して飛ぶため、飛ぶ軌道は波型になる。

  《ツグミ》
全長24cm。ムクドリと同大。
茶色と黒と白のまだら模様。
白い眉が目立つ。

足を揃えピョンピョン跳ね歩いて、胸を反らせた姿勢で立ち止まる。

冬鳥


《参考文献》
  
  『小学館の学習百科図鑑[34] 野鳥の観察』(1981年9月)

《参考サイト》

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『ムクドリ』

  同上  『ヒヨドリ』 

  同上  『ツグミ』
    
  『日本野鳥の会が贈る、野鳥を楽しむポータルサイト BIRD FAN』

飛び方の区別については、こちらをご覧下さい。

  http://birdfan.net/bw/hint/hinako/042.html

《関連記事》

  『2月21日 鳥類の事前研究・鳥類調査 1』 (09/02/21)

  『2月21日 鳥類の事前研究・鳥類調査 2 カラス』 (09/02/22)

  『2月21日 鳥類の事前研究・鳥類調査 3 ハト』 (09/02/24)
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by honnowa | 2009-03-13 22:25 | 自然
毎年恒例の「名古屋管楽五重奏団演奏会」に行ってきました。
プログラムは、

  『木管五重奏のための 3つの船乗りの歌』 マルコム・アーノルド (1921~2006)
  『木管五重奏曲 変イ長調』 グスターヴ・ホルスト (1874~1934)
  『ピカソ ピクチャーズ』 レイモンド・ウォーレン (1928~)
  『ピアノ、フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンのための 六重奏曲』
     ゴードン・ジェイコブ (1895~1984)

昨年はフランスの曲でしたが、今年は全てイギリスの曲です。
1曲目の作曲者マルコム・アーノルドは、映画『戦場にかける橋』の『クワイ河マーチ』の編作曲をしています。プログラムの解説によると「わかり易さとウィットに富んだリズムとメロディー」が持ち味ということで、今回の曲もそのとおりでした。

後半の2曲ではイングリッシュホルンが使われました。
イングリッシュホルンの音色は独特でいいですね。
郷愁を誘う音です。
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by honnowa | 2009-03-13 00:25 | 音楽
1つ前の記事『ゴーギャン展 講演会Ⅲ 高階先生のお話』のつづきです。

講演会の中でサマセット・モームの『月と六ペンス』のことが出ました。
これは1月24日の馬場駿吉(名古屋ボストン美術館 館長)さんの講演でも取り上げられていました。
しかしあくまでモームの創作によるものなので、ゴーギャンの実像に近づくには彼自身の著作である『ノアノア』を読むほうのいいかもしれません。

そういえば1月の馬場館長のお話によると、ゴーギャンが『ノアノア』を出版した際、かなり編集者の手が入ったそうで、従来日本で翻訳されていたものもその版なのだそうです。
岩切正一郎さん訳によるちくま学芸文庫(1999年)のものは、ゴーギャンが元々書いた形に近づけたものということでした。
その岩切先生の講演が2月にあり、申し込んであったにも関わらず、うっかりして行きそびれてしまいました。
残念です。

どちらを読もうか考えながら、ネット検索していましたら、こちらの書評で読むのを決めました。

  『松岡正剛の千夜千冊』より 『月と六ペンス』

この書評が面白い。
えっ?!という感じです。
ぜひリンク先からお読み下さい。


《関連記事》

  『ゴーギャン展 講演会Ⅰ 1』 (09/01/26)

  『 ゴーギャン展 講演会Ⅰ 2 ゴーギャンと文学』 (09/01/27)

  『ゴーギャン展 講演会Ⅲ 高階先生のお話』 (09/03/11)
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by honnowa | 2009-03-11 20:13 |
先日8日は名古屋ボストン美術館で「ゴーギャンと楽園幻想」という講演会を聴講しました。
講師は大原美術館館長の高階秀爾さんです。

お話しはとても面白く、ゴーギャンは少しだけですが案外いい人だったのではないか、と思えてきました。
その中で紹介されたのが、やはりサマセット・モームの『月と六ペンス』でした。
しかし『月と六ペンス』はゴーギャンの一側面だけを強調して描いていて、芸術のために妻子を捨てたということになっているが、実際のゴーギャンは、別れて暮していても相当妻子のことや友人のことも気に掛け、手紙を書いていたそうです。

ゴーギャンが描いたタヒチの女たちは、創世記のイヴをタヒチのモチーフで描いているものという解説でした。
わたしはかねてから、なぜ南国の明るいタヒチを描くのに、ゴーギャンの絵は暗いのか不思議だったのですが、単にタヒチそのものを描写していたのではないとわかりました。

禁断の木の実を食べたイヴは、妊娠の苦痛を与えられ、アダムと共に楽園を追われます。
よく絵画で描かれるのはその「失楽園」の場面ですが、ゴーギャンの絵は、苦痛はあっても子供を得る喜び、愛を得る喜びがあると、そちらを称賛するものになっているそうです。
そうなると女性好きであり子供好きであり、事情が許せば本当は家族一緒にタヒチに行きたかったのではないかとも想像されます。

それから興味深かったのはゴーギャンがキリストになぞらえて自画像を描いていることです。
高階先生は「ずうずうしいですね」と仰っておられましたが、本当にそうですよね。
ドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーがキリストになぞらえた自画像を描いていますが、あれは神の如き己の画才という自負の表れだと、彼の画業を知れば素人でも納得です。
しかしゴーギャンの場合はどうなのでしょう。
画才でしょうか、存在が神の如しと思っていたのでしょうか、それとも熱い宗教心の表れだったのでしょうか。
高階先生に質問してみたかったのですが、時間切れでできませんでした。
でも俄然ゴーギャン展が楽しみになってきました。


《関連記事》

  『ゴーギャン展 講演会Ⅰ 1』 (09/01/26)

  『 ゴーギャン展 講演会Ⅰ 2 ゴーギャンと文学』 (09/01/27)
    
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by honnowa | 2009-03-11 06:45 |