ニュートラルな気づき 


by honnowa

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横書き文書の句読点

横書き指定のレポートを作成しているのですが、どうにも句読点が気になってきました。
何のことかわからない方は、何でもよいのでお手元の本で横書きになっているものを、何冊か見てください。
句読点どうなってますでしょうか。
縦書きと同じ「、 。」もあれば、「, 。」だったり、「, .」というのもありませんか。

日常、自分で仕事やメールやブログと、横書き文書を書くのは、もっぱら「、 。」でした。
今回レポート作成のために、テキストの関連箇所を抜書きしていると、テキストに倣って「, 。」がいいのかなあ、と気になりだして。
そういえば、横書き文の句読点の書き方なんて、正式に習った記憶もありません。
そこで何冊か手持ちの本を見たら、上記のように書き方が混在していたのです。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、興味深いことが載っていました。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『句読点』

パソコンの変換の都合ならば、「、 。」のほうがありがたいです。
テキストを数行写し、句読点を「, 。」に直しているうちに、面倒くさくなってしまいました。
さらに『ウィキペディア(Wikipedia)』を読んで、まあ、いいかあ。
わたしは「、 。」でいきます。

 《メモ》
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by honnowa | 2008-01-31 06:39 |

「俊頼」さんのこと

もし万一、「俊頼」というお名前の方がご覧になられてましたら、ごめんなさい。
きょう取り上げるのは、平安時代の「俊頼」さんのことです。

『中古文学研究』(神作光一編 双文社出版)の第八章『伝統と革新──歌学の隆盛と後期和歌』(日比野浩信)よりP217『基俊と俊頼』、『俊頼の歌学『俊頼髄脳』』を読んでいてのことです。
俊頼って誰?
実はその前の項目で勅撰集『金葉集』の編者として、しっかり説明がされていたのですが、少しづつ読み進めていたので、前の項目とつながっていると気付かなかったのです。
本では説明済みとして、フルネームでなく名前だけの表記で、彼を軸にライバル関係にあった藤原基俊や前後の時代の人物について記述されてたので、俊頼のことが頭に入っていないと、チンプンカンプンの状態なのでした。

俊頼って誰だろう。
こういう場合の調べものは、圧倒的にネットを使います。
自称本好きなのに、ハハハ~
辞書を棚から取り出し、またもとの位置に戻すのが面倒で・・・

さてネットで調べる場合、「俊頼」ですと、もちろん現在にもそのようなお名前の方はいらっしゃるでしょうから、フルネームで検索をかけたほうがいいわけです。
でも今回は、苗字がわかりません。
平安時代の歌人だから、まあ「藤原」だろう、その項目に登場する他の歌学者もみんな藤原姓だし。
「藤原俊頼」でGoogle検索をかけてみました。
そうしましたら61件出てきました。 (08/01/29現在)

ここで古典に詳しい方はたぶん吹き出していらっしゃるでしょう。
ここまで真面目に読んでくださった方、ごめんなさい。
これは悪い調べ方の見本です。
けしてこのような調べ方をしてはいけません。
いけませんの見本です。
以下その顛末です。

その「藤原俊頼」61件のサマリー(タイトルの下に抽出された3行の抜粋)を見渡すと、なんとなくおかしい。
なにやらものすごく専門的そうで、一般的なサイトなさそうです。
だいいち61件なんて、件数が少なすぎます。
特殊な人物を論述の基準に据えるでしょうか。
違和感を覚えて、念のため歌論書「俊頼髄脳」を検索してみたところ5420件も出てきました。
しかもサマリーには「源俊頼」の表示がみえます。
えっ、藤原でなく源だったの?
そこで「源俊頼」で検索してみますと、10700件。
これはもう疑いようもなく、源俊頼さんですね。
失礼しました。
では藤原俊頼は何者?

ここでようやく本を紐解きました。
基礎知識を手っ取り早く調べるなら、高校生が授業に使用する「便覧」などの副読本が一番うってつけです。
たまたま「藤原俊頼」61件のサマリーに、「藤原俊頼(1114~1204)」という表記がありましたので、便覧でその時代を調べてみました。
すると!
1114~1204年の方は藤原俊成!
『千載集』の選者で、藤原定家の父親です。
いや~、もしかしたら同じ生年没年にあまり有名でなかった藤原俊頼という方がいたのかもしれませんが、古典初心者のわたしにはこれ以上何とも申し上げようがありません。
しかし中には勘違いかな?というのも見受けられます。
俊成が選者となった『千載集』に52首も選ばれた歌人は源俊頼です。
そして『金葉集』の選者も源俊頼です。
でもこれはあくまでサマリーを見ただけで、サイトの中を確認していませんから。
それに本当に実在の無名の「藤原俊頼」がいて、どなたか研究していらっしゃる方がいないとも限りませんし。
それにそれに、そもそもわたしが変な調べ方をしなかったら、気付かなかったことなのです。
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by honnowa | 2008-01-30 06:44 |

漢字

昨日08/1/28の記事のつづきです。

縦書きの美しいサイト 『日本の美意識で綴る 日本吉』にある「漢字」というカテゴリーを見てみました。
漢字の起源の話は面白いですよね。
以前に井上靖の小説『孔子』を読みましたら、物語の中で漢字の成立の話や本来の意味などが取り上げられていて興味深かったのですが、『日本吉』の記事を読みましても、孔子や荘子が登場します。
彼らは太古の思想家ですが、わたしたちが今日使っている漢字、つまり文字の語源にも関わっているようです。
活字病のわたしとしては、いつか思想、哲学、道徳としての儒教とは別の角度からアプローチしてみたいです。

さて具体的な内容は『日本吉』の記事を読んで下さい。
記事は現在10個ありますが、みなさんはどの文字に興味をもたれましたでしょうか。
わたしは「仁」の由来がとても面白かったです。
現在ではとても抽象的で一言ではいえない概念ですが、大昔の人々の発想は素直でわかりやすいですね。
また「仁」、「信」は、井上靖の『孔子』を読んでいるときにこのブログに取り上げましたので、併せてご覧下さい。

  『「信」という文字と「仁」という文字』 (07/01/23の記事)
  
以下は記事中のいくつかの言葉について調べてみました。

『大辞林 第二版』 (三省堂)より

  こうこつもじ かふこつ― 【甲骨文字】
亀甲(きつこう)や獣骨に刻まれた中国殷(いん)代の象形文字。紀元前一五世紀頃から使われたと考えられる、現存最古の中国の文字。占卜の記録に用いられ、殷墟より多数出土。甲骨文。亀甲獣骨文。殷墟文字。

  きんぶん 【金文】
青銅器などの金属器に刻まれた文字・文章。特に、中国殷・周代の青銅器の銘文をいう。
→石文

『新撰 漢和辞典 新版』 (小林信明編 小学館 P1215)より

    周の衰えたあと、春秋・戦国と呼ばれる諸侯の争覇の時代が続き、中国の各地に都市
  国家が分立すると、多少ず(ママ)つ字体の違った文字が各地で用いられていたらしい。
  その一部は「史籒しちゅう」「籒文ちゅうぶん」などと呼ばれ、またおしなべて「古文」とも呼
  ばれる。西紀前三世紀、秦しんの始皇帝が天下を統一すると、全国の字体を統一する必
  要を感じて、「小篆しょうてん」という字体を定めた。 (中略) 小篆とは、今日の篆刻を好
  む人々が、印材にほりつける屈曲の多い美しい字体である。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『白川静』
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by honnowa | 2008-01-29 05:44 |

縦書きのサイト

年末にコメントくださったうん様、ご覧になられているでしょうか。
その返信で、今度縦書きのサイトを見つけたら記事にするとお伝えしましたが、見つけましたよ。
とても美しいサイトで、しかもテーマは「日本の美意識」です。
日本語と英語の切り替えができ、日本語の場合は縦書き文、英語の場合は横書きテキスト(あたりまえですね)になります。
こちらをご覧下さい。

  『日本の美意識で綴る 日本吉』様

こちらのサイトはブログなのでしょうか、ブログ風のHPなのか、知識がないのでわかりませんが、記事をつづけて読むために下へスクロールしていると、なんだか絵巻物を縦に紐解いているようで面白いです。
縦書きの文字を上下にスクロールするというのは、案外生理的に適っていることかもしれません。
初めてでもまったく画面に違和感を覚えませんでした。
個人的には縦書き文がもう少し縦長くあってほしいのですが、これは1つの記事をスクロールせずに一画面で表示するための設定なのでしょう。

銀行に行きますと、待合のソファーに書店で取り扱っていない美しい雑誌が置かれています。
旅、グルメ、こだわりの一品など、贅沢でステイタスなものを紹介してくれるカード会社の会誌ですとか。
パソコンでそういう雑誌を見ている気分です。
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by honnowa | 2008-01-28 07:03 | サイト
昨日08/01/26の記事のつづきです。

石田穣二訳注の『新版枕草子』はだいぶ前に買った本なので、「角川日本古典文庫」となっています。
現在この本は「角川ソフィア文庫」です。
買ったばかりの『新版伊勢物語』も「角川ソフィア文庫」でした。
この「角川ソフィア文庫」ですが、「ビギナーズ・クラシックス」というシリーズもあります。
まったく同じデザインのピンク色の背表紙で、小さく「ビギナーズ・クラシックス」と印刷されているだけです。
本屋で、角川の『伊勢物語』を探して、開いてみたら・・・
えっ! 何コレ?
と思ったくらいにやわらかーい、かーるい文章でした。
失礼な書き方して、ごめんなさい。
だって、大学の専門家が勧める参考文献、って頭にありますもん。
マジー!?って思いましたよ。
もう一度棚をよく見、「ビギナーズ・クラシックス」でないほうを見つけて、ほっとしました。
いや~、硬、軟、対照的な2冊でした。

アマゾンに両方ともありました。
どちらのカスタマーレビューもとても特徴をうまく言い表しています。
ぜひご覧下さい。

  石田穣二訳注 『新版伊勢物語』 (角川ソフィア文庫)

  坂口由美子編 『伊勢物語』 (角川ソフィア文庫 ビギナーズ・クラシックス)
  
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by honnowa | 2008-01-27 06:32 |
なぜタイトルに、「角川文庫の~」と断ってあるかといいますと・・・

『伊勢物語』の特徴についてのレポートをまとめようとしたところ、「角川文庫本の解説を読んでみてください」と指示が載っていました。
なぜ角川文庫?
講談社学術文庫ならばもっているのに~

以前に別の先生の『枕草子』の講義を受けたときも、参考文献に角川文庫の『新版枕草子』が指定され、その解説を丹念に読みなさいという指示でした。

さて『枕草子』は角川文庫本をもっていたので気に留めなかったのですが、違う先生からも角川文庫を指定されると気になります。
角川書店は辞書も刊行している老舗の出版社ですが、どうも世代的に角川文庫=映画と派手な宣伝というイメージが強くて。
今はどうなんでしょう。

そこで本屋に行ったわけなのですが、訳注が『枕草子』も『伊勢物語』も石田穣二という方でした。
『枕草紙』の解説は、文庫本の解説の域を超えた立派な論文で、さすがに専門家が勧めるだけのことはありましたが、『伊勢物語』のほうも本文248ページに対し、解説42ページという立派なものでした。
その立派な解説を見て、観念して?買いました。
わたしは読書マニアで活字中毒ですが、本を集める趣味はないんですけどもね。
きょうは、本文そのものでなく、解説目当てで本を買ったという珍しいケースとして記事にしました。

せっかく買ったので、較べてみましょう。
角川の『新版 伊勢物語』は、原文を全段載せた後、補注をまとめて載せ、その後に現代語訳です。
語釈は原文の下に脚注が付いています。
解説の他に、「業平卒伝」 「略系図」 「略年譜」 「和歌索引」 「語彙索引」が載っています。
文字はやや小さめです。
天福本系統の学習院大学蔵本を底本に、武田本に見られる本文の異同は脚注か補注に示した。

講談社の『伊勢物語』は上下本で、一段づつ原文、口語訳、語釈、補説となっています。
系図なども都度、補説に載っています。
解説のほかに「所収和歌一覧表」が載っています。
文字は大きめです。
底本は天福本系統の三条西家旧蔵本で、底本になく他本に見られるものは巻末に付載。
こちらの訳注は阿部俊子氏です。
『伊勢物語』全体の解説は13ページと少ないですが、一段ごとに詳細な補説が載っています。
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by honnowa | 2008-01-26 08:52 |

展覧会図録の通信販売

お正月に『トプカプ宮殿の至宝展』に行き、いつもどおり図録を買いました。
(08/01/09の記事参照)

c0100148_1172430.jpg
その袋の中に左のようなリーフレットが入ってました。
内容は朝日新聞社主催の展覧会の図録の通販の案内でした。
そういう世の中になりましたか。
美術展の図録だけはその場限り、またはその美術館のみの限定販売という認識でいたのですが。
なあんとなく、通販で買えちゃうなんて、つまらない・・・
でも売る側としては当然の扱いですね、今のご時世。
しかも新聞社刊行ならば、なおさらです。

ところで「図録」という言葉ですが、わたしは美術展の場合は「カタログ」でなく、「図録」で使い分けています。
「カタログ」ですと、商品カタログみたいでしょ。
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by honnowa | 2008-01-25 05:46 |

美術展のチラシ

昨年は所用で数回東京に行きました。
所用なので昼間はどうにもならないのですが、夜はせっかくなので可能な限り美術館に行きました。
さすが東京。
美術館のナイターも充実しています。
他所だとこうはまいりません。
観覧できたのは『京都五山禅の文化展』(東京国立博物館)、『ベネツィア絵画のきらめき』(Bunkamura ザ・ミュージアム)、『BIOMBO/屏風 日本の美』(サントリー美術館)でした。
時間と体力は余裕があったのでもう少し観たかったのですが、展覧会のいくつかはその後名古屋に巡回する予定だったので、東京でわざわざ観なくてもと見合わせました。

さてきょうの本題です。
部屋の片付けをしてましたら、その東京で集めた展覧会のチラシがいくつか出てきました。
その中に東京都美術館で行われた『トプカプ宮殿の至宝展』もありました。
これはけっきょく東京で観ず、お正月に名古屋で観たものです。 (08/01/09の記事参照)
チラシの色が違うことに気づきました。
では両方のチラシを見較べてみましょう。

c0100148_9502994.jpg
左が名古屋市博物館、右が東京都美術館開催のものです。
テキストは当然ですが、デザインをわざわざ変えるんですね。
初めて知りました。
ちなみに名古屋のチラシは図録のP138、東京のほうはP139の写真が使われています。




c0100148_1024443.jpg裏面です。
紹介されている作品が違います。
展示替えもありますからね。
名古屋には出品されず、館内のビデオと図録で紹介されていた『金のゆりかご』は、東京では特別出品されていたようです。
右のチラシの右上隅です。
チラシには「秋篠宮家に悠仁親王が誕生したお祝いとして、トルコ政府のご好意により「金のゆりかご」が日本で初公開されることになりました。本作品は、トプカプ宮殿博物館の宝物の中でも秘蔵品の一つです」と紹介されていました。
I さ~ん、見てますか~
そういうことだったんですよ。

東京を見送ったのは、ナイターで観覧時間に余裕がないのと、図録を持ち帰るのが重たいからなのですが、展示替えには思い至りませんでした。
ほんとうは気に入った展示は2度、3度と観に行きたいし、それができた時期もあったのですが、いまはちょっと難しいです。
でも今回はチラシからでもこういうことがわかる、ということがわかり勉強になりました。
今後はチラシもしっかりチェックします。
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by honnowa | 2008-01-24 06:43 | 美術
昨日までつづいたこの展覧会の記事の最後です。

展覧会名   新館開館20周年記念 特別展 国宝源氏物語絵巻と平成復元模写
場   所   徳川美術館
期   間   2007年11月10日~12月9日
内   容   平成復元模写全図の一挙公開と、原本12場面の絵と詞書きの展示

日本の美術や諸芸術を理解するのに『源氏物語』は不可欠ですから、絵の鑑賞と同時に物語の口語訳の読み直しも抜粋ですが行いました。
今回は美しい絵巻のおかげで、ほんとうに楽しいお勉強でした。
昔の上流社会では源氏物語は教養の必須でしたが、このような絵巻はそのための学習用でもあっかたのかなと、記事を書きながら実感したことです。
長編ですし、人物もたくさん登場しますもんね。

ここまでお読みくださった皆様も、どうもありがとうございました。

わたしの美術鑑賞の始まりは、近代以前の西洋の油絵からでした。
ちなみに初めて美術館という建物に入り、最初に観た絵はミレーの『晩鐘』です。
そこから興味が広がり、やがて日本美術の展覧会にも足を運ぶようになりました。
日本画は岩絵具の質感が気に入り好むようになったのですが、現代の作品は楽しむことができるのに、昔の作品はどうしても理解できないというか、取り付く島がないという状況でした。
そして解説や美術書なども読み、結局、「源氏」と「古今」だなと気付いた次第です。

口語訳を何度か読み、ストーリー全般が頭に入っているという程度ですが、それだけでもだいぶ日本美術の理解に役立ちます。
もちろんほんの一歩中に入ったという程度ですが、なにしろ「源氏」は後世に与えた影響が大きく、関連ある作品が多いものですから、その一歩で近づける作品もまた多いのです。
ぜひ口語訳の完読をお勧めします。
有名なところでは谷崎潤一郎、最近のものですと瀬戸内寂聴ですね。
与謝野晶子は青空文庫でも読むことができます。
各巻の冒頭に彼女の和歌が添えられています。
わたしは一連の記事で引用しました円地文子訳しか読んだことがありませんが、いかにも王朝絵巻にふさわしいふくらみのある優雅な文体でしょう。
後に円地自身の作品を読んだとき、まったく文体が異なるので驚きました。
あれはあくまで「源氏」用の文体だったのです。
あの文体では現代は語れないんだなと、ちょっと寂しく思いましたけど。

さて、もう少し深く美術に応用されたものを読み解くには、巻名とその元となった和歌を把握することが大事です。
今回は現存する絵巻の巻名とそのストーリーを勉強するのに精一杯でした。
次にまた何か面白いきっかけができましたら、巻名となった和歌の解釈まで取り組みたいと思います。
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by honnowa | 2008-01-23 06:02 | 美術
『東屋二』 (宮崎いず美作)
  (図録『よみがえる源氏物語絵巻』よりP58)

    秋の冷たい雨がそぼ降り、八重葎の庭も闇に包まれた頃、三条あたりの隠家にいうる
  浮舟を訪れた薫。弁の尼は浮舟に、薫の思慮深い性格を説き、会うように説得する。その
  成り行きを、扇を手に中空をながめつつ簀子に座してじっと待つ薫は和歌を詠む。
     さしとむる葎や繁き東屋のあまり程ふる雨注ぎかな (薫)
  薫に冷たい雨がいちだんと降り注ぐ。

画像ですが、原本は徳川美術館(http://www.tokugawa-art-museum.jp/)より、『常設展示室』 → 『第6展示室』 → 『平成十五年度』をご覧下さい。
平成復元模写の画像は見つかりませんでした。

さてこの場面について説明しましょう。
匂の宮に言い寄られたことを聞いた浮舟の母親は、慌てて浮舟を三条あたりの小さな家に娘を隠します。
一方薫は宇治にいる弁の尼に尼自身が仲立ちするように言います。
弁の尼が浮舟を訪ねたその宵に、薫自身もやってきます。
この絵の場面の後、夜が明けると、薫は浮舟を宇治へと移します。

もっとも円地文子の口語訳(新潮文庫 巻五)で、『東屋』の冒頭(P135)、薫は次のように考えています。

    筑波嶺に近く生い立ったあの中の君と腹違いの女君を、大将の君にはわがものにした
  いお心持がおありになるけれども、そんな端山の茂みの末のような常陸の前司の継娘に
  まで、酔狂に懸想なさるのは、世間体も悪く軽々しいことであろうし、気恥ずかしくも思われ
  る相手なので、自然遠々しくなさって、お文さえもお遣わしにならない。

そしてこの絵の場面の後、薫は浮舟と直に対面し、彼女を宇治に移しますが、その直後もこう考えます。(P204)

    さて、それにしても、この先この人をどう扱ったらよいであろう。今すぐ晴れがましく支度
  して三条の宮に迎え入れるのも人聞きがよくないであろう。そうかといって、そこらの手を
  つけた女房と同じように、中途半端な宮仕えをさせるのも本意でない。

そして次の『浮舟』でも、(P212)

    あの大将の君は、傍目にももどかしいほど、おっとりと構えていられる。宇治では、さぞ
  かし待ち遠しく思っていようと、始終あわれに思いやられながら、なにぶんにも重々しい御
  身分なので、格好な口実がなくては、容易にお出かけになるわけにもゆかず、この道ばか
  りは神さまもお咎めなどなさるまいに、持ち前の御気性から、いつまでも躊躇っていらっ
  しゃる。

そうしてゆっくりと京に迎える住居の準備をすすめているうちに、匂の宮は浮舟の所在を知り、薫に知られないように関係を持ちますが、やがて薫の知るところとなります。
二人の間で思い悩んだ浮舟は川に身を投げます。

国宝『源氏物語絵巻』で現存しているのは、『東屋ニ』が最後です。
この絵は『東屋』のこの場面のために描かれたものですが、何か残りの帖も象徴しているような描き方です。
「憎らしいくらい」とよく表される薫はゆったりと構えた態度です。
それと対照的に薫と匂の宮に翻弄される浮舟は後に自殺を図りますが果たせず、助けられて後は、周りからいくら説得されようと頑なに自分の意思を貫くようになってゆきます。
それは後のことなのに、この場面でも浮舟は、身を強張らせながらうつ伏して、強い拒絶の態度をとっているかのように見えます。
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by honnowa | 2008-01-22 05:33 | 美術