御本立鶴茶碗 1
2008年 06月 22日
『小堀遠州 美の出会い展』にも出展され、『増補 やきもの事典』にも、名高いと挙げられた「御本立鶴茶碗」についてです。 (08/03/13の記事参照)
まずお茶碗の姿はこちらでご確認下さい。
(展覧会は終わっております。念のため)
『松坂屋』様より > 名古屋店 > 松坂屋美術館 > 過去の開催履歴
『小堀遠州 美の出会い展』
図録の解説によりますと、(P150)
御本立鶴茶碗(ごほんたちづるちゃわん) 銘・池水(いけみず)
高 10・2 口径12・7 高台径 6・6
北村美術館
日本から朝鮮釜山窯に注文した茶碗を御本と呼び、その代表とされるのが立鶴の茶碗で
ある。寛永年間、3代将軍家光が細川三斎の喜寿の賀に立鶴の絵を描き、遠州が切形を
つけ、対馬の宗家を通じて注文したと伝わる。現在数碗が伝世している。
特徴は口辺がやや端反りで、胴部に白黒二色象嵌で二面に立鶴の押型が相対してい
る。高台は三方割であることが約束となっている。大振りで慶賀の際に濃茶茶碗として使
用するのに十分な風格をそなえている。
内箱書付は5世宗香で、蓋表に「池水」、蓋裏に「千とせふるたづのむれいる池水は 波の
音さえのどかなる哉」の和歌を記している。もとは鴻池家所持。
『増補 やきもの事典』 (平凡社)でも確認しますと、
御本立鶴(ごほんたちづる)
立鶴茶碗の御本手のものをいう。
立鶴茶碗(たちづるぢゃわん)
高麗御本茶碗の一種。寛永年間(1624~44)将軍家の大福茶のために注文されたもの
で3代家光が鶴の下絵を書き、遠州が意匠したといわれる。御本茶碗の始まりである。立
鶴は押形で二方にあり、筒形・端反(はたぞり)・割高台を約束している。
後に対州窯や他の国境でも写しが作られている。
切型(きりがた)
茶入や茶碗の形を実物大にスケッチして切抜いたもの。
窯元への注文などに使われたが、のち好み道具の見本帳となって残されている。宗及
切型・利休切型・遠州切型などがある。
端反(はしぞり)
器の口縁が外部に沿っていることを指す。
割高台(わりこうだい)
高台の内側を削らずに、十文字に欠割った形のものが普通だが、ほかにも種々に割った
ものがある。高麗茶碗のうち、割高台になった茶碗を指す名称としていわれる場合もある。
お茶の世界の約束事は深いですね。
解説を書き写しながら、1つの茶碗のこんな小さな部分にまで、と感じ入りました。