『国宝源氏物語絵巻と平成復元模写』展 22 『東屋二』
2008年 01月 22日
(図録『よみがえる源氏物語絵巻』よりP58)
秋の冷たい雨がそぼ降り、八重葎の庭も闇に包まれた頃、三条あたりの隠家にいうる
浮舟を訪れた薫。弁の尼は浮舟に、薫の思慮深い性格を説き、会うように説得する。その
成り行きを、扇を手に中空をながめつつ簀子に座してじっと待つ薫は和歌を詠む。
さしとむる葎や繁き東屋のあまり程ふる雨注ぎかな (薫)
薫に冷たい雨がいちだんと降り注ぐ。
画像ですが、原本は徳川美術館(http://www.tokugawa-art-museum.jp/)より、『常設展示室』 → 『第6展示室』 → 『平成十五年度』をご覧下さい。
平成復元模写の画像は見つかりませんでした。
さてこの場面について説明しましょう。
匂の宮に言い寄られたことを聞いた浮舟の母親は、慌てて浮舟を三条あたりの小さな家に娘を隠します。
一方薫は宇治にいる弁の尼に尼自身が仲立ちするように言います。
弁の尼が浮舟を訪ねたその宵に、薫自身もやってきます。
この絵の場面の後、夜が明けると、薫は浮舟を宇治へと移します。
もっとも円地文子の口語訳(新潮文庫 巻五)で、『東屋』の冒頭(P135)、薫は次のように考えています。
筑波嶺に近く生い立ったあの中の君と腹違いの女君を、大将の君にはわがものにした
いお心持がおありになるけれども、そんな端山の茂みの末のような常陸の前司の継娘に
まで、酔狂に懸想なさるのは、世間体も悪く軽々しいことであろうし、気恥ずかしくも思われ
る相手なので、自然遠々しくなさって、お文さえもお遣わしにならない。
そしてこの絵の場面の後、薫は浮舟と直に対面し、彼女を宇治に移しますが、その直後もこう考えます。(P204)
さて、それにしても、この先この人をどう扱ったらよいであろう。今すぐ晴れがましく支度
して三条の宮に迎え入れるのも人聞きがよくないであろう。そうかといって、そこらの手を
つけた女房と同じように、中途半端な宮仕えをさせるのも本意でない。
そして次の『浮舟』でも、(P212)
あの大将の君は、傍目にももどかしいほど、おっとりと構えていられる。宇治では、さぞ
かし待ち遠しく思っていようと、始終あわれに思いやられながら、なにぶんにも重々しい御
身分なので、格好な口実がなくては、容易にお出かけになるわけにもゆかず、この道ばか
りは神さまもお咎めなどなさるまいに、持ち前の御気性から、いつまでも躊躇っていらっ
しゃる。
そうしてゆっくりと京に迎える住居の準備をすすめているうちに、匂の宮は浮舟の所在を知り、薫に知られないように関係を持ちますが、やがて薫の知るところとなります。
二人の間で思い悩んだ浮舟は川に身を投げます。
国宝『源氏物語絵巻』で現存しているのは、『東屋ニ』が最後です。
この絵は『東屋』のこの場面のために描かれたものですが、何か残りの帖も象徴しているような描き方です。
「憎らしいくらい」とよく表される薫はゆったりと構えた態度です。
それと対照的に薫と匂の宮に翻弄される浮舟は後に自殺を図りますが果たせず、助けられて後は、周りからいくら説得されようと頑なに自分の意思を貫くようになってゆきます。
それは後のことなのに、この場面でも浮舟は、身を強張らせながらうつ伏して、強い拒絶の態度をとっているかのように見えます。