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ニュートラルな気づき 


by honnowa
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『紅葉(もみじ)』の伝統美 

昨日07/11/27の記事のつづきです。

童謡『紅葉』ですが、歌詞だけ見ると和歌そのものですよね。
音も7音がつづき、最後だけ5音でまとまっています。
日本語は5音、7音の組み合わせでできているのだなと、あらためて感じました。
それでは、このその美しい表現の元となった和歌を見ていきましょう。
さて自力で調べようと思ったのですが、同じことを考えた先達がいらっしゃり、素晴らしい記事が見つかったので、わたしが付け焼刃で書くよりも、リンクを張らせていただくことにしました。

  『吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草』様より
    『唱歌『紅葉』の淵源 [2006年10月25日(水)] 』


和歌を見ると、わたしが気になっている「松」が出てきていないことに気づきました。
松でなく他の常緑樹でもいいんですけど、緑と赤のコントラストがはっきりと表現されていません。
山の中の紅葉で緑の中の赤を意識している歌もあるのでしょうが、全山すっかり紅葉しているかもしれず、和歌からその区別をつけることはできません。
また「松に蔦、楓」というのは色だけでなく、形も極めて日本の伝統美術的といえますが、古今集の時代にはまだ確立していなかったのかもしれません。
もう少し後の時代まで、「松をいろどる楓や蔦」を追うことにします。

こちらもまた詳しく調べた方がいらしたので、リンクを張らせていただきました。
その方は「蔦紅葉」という季語から調べていらっしゃるので、松に注意していたわけではないと思うのですが、選ばれた和歌はなぜか「松と蔦、楓」が多いのです。

  水垣 久様の『やまとうた』より 『和歌歳時記』から 『蔦紅葉(つたもみじ)』

特に後水尾院の歌をあげておきましょう。

  うすくこく露や色どる松垣にゑがくとみえてかかる蔦の葉
        『後水尾院御集』 (蔦懸松)

さてこの中で具体的に「松と蔦、楓」を詠んだ人物を調べてみると、
式子内親王(1149~1201年)、藤原俊成女(1171?~1254?年)、宗尊親王(1242~1274年)、飛鳥井雅親(1416-1490年)、後水尾院(1596-1680年)となります。
(上記のサイトにて調べました)
参考までに『新古今和歌集』の撰者だった藤原定家は1162~1241年です。
新古今集の時代には「松と楓、蔦」は形として定着していたとみていいのではないでしょうか。
『古今集』と『新古今集』の間にあったものといえば、『源氏物語』です。

さて『源氏物語』には具体的に松と蔦、楓があるのか直ぐに調べられないのですが、とりあえず先日まで勉強していた、『源氏物語の鑑賞と基礎知識』の№41『宿木(後半)』(P114、115)によると、『宿木』には「いと気色ある深山木にやどりたる蔦の色ぞ」、『総角』には「常磐木に這いかかれる蔦の色なども、もの深げに見えて」とあり、緑と紅葉の対比が描写されています。
同解説には和泉式部の「紅葉するつたしかかればおのづから松もあだなる名ぞ立ちぬべき」という歌もとりあげられています。
この歌は意味としては景色の美しさを詠んだものではありませんが、「松にかかる蔦」という形で表現されています。
日本の美の形、色として定着するようになったのはこの時代からといえるのでしょう。

もちろん『紅葉』を作詞した高野辰之は国文学者でもありましたから、このような知識はすべて把握していたわけです。

  『高野辰之記念館』様より プロフィール
by honnowa | 2007-11-28 06:55 |