宇治十帖の読み方
2007年 10月 13日
宇治十帖は、それ以前の光源氏を主人公とした本編の巻との相違から、紫式部でない他作説が多くでています。
仮に式部だったとしても、長期間休止してから執筆したのではないかとも言われています。
確かに読むと、式部に何があったのだろうと思わざる得なくなります。
もっとも1人の芸術家の作風が、まったく別人の作のように大きく変化するのは、絵画などでは顕著なことです。
さて瀬戸内氏は、式部本人が本編執筆後、何年も休止し、しかもその間に出家したのではないかと推察しています。
浮舟の出家の場面が、ご自身の得度の様子と比べても、描写が具体的でリアルなのだそうです。
『浮舟の出家』は以下の文章で締めくくられています。
出家した浮舟もまた、心の丈が高くなり、出家をみじんも悔やんではいない。
それに比べて浮舟の生きていたことを知った薫の、世間体ばかりを気にした心理や態
度の、何と卑小に見えることか。
この物語の終りは、いろいろな意見が出ているが、私は実に見事な結末だと思う。
作者は筆を置き、はじめて心から笑ったのではないだろうか。
う~む、わたしは浮舟のことが気の毒で、薫を冷笑するという発想は思いもよらなかったです。
だって、薫は本当に嫌な奴だと思いますもん。
ちょっとストレート過ぎる感想でしょうか。
というか幼いかな、読み方が。