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ニュートラルな気づき 


by honnowa
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写本

昨日まで『和泉式部日記』の校訂本文の作業について綴りましたが、肝心の内容に触れていませんでした。
この日記は式部の恋人だった故為尊親王の弟、帥宮敦道親王が式部に橘の花を贈り、歌のやりとりを交わしたのをきっかけに愛が深まり、ついには宮邸に迎えられ、宮の正妻が宮邸を出てしまう10ヶ月間を綴ったものです。
作者は和泉式部自身というのが大方の見方です。
というのも、他作者説というのもあるからだそうです。
どちらが100%正しいかは、いまとなっては確かめようもありません。
確かめる術がないのは、和泉式部の直筆の文章が残っていないからなのです。
今日伝わっている『和泉式部日記』は後世の写本で、その中で最善本と言われている、宮内庁書陵部蔵本の三条西家本系統も、室町時代に三条西実隆が書写したものと言われています。

仮に式部本人が筆者として、三条西実隆が書写するまでに500年近くの隔たりがありますので、実隆が写した原本は何だったのか?という問題も考えなければなりません。
これは『和泉式部日記』に限らず、『源氏物語』、『枕草紙』と平安時代の作品には必ずつきまとう問題です。
筆者が誰かということは置くとしても、『源氏物語』や『枕草紙』でも元々の原文はどうであったのかということはわからないし、タイムマシンでもない限り確かめようもありません。
人が書き写すということは、必ず誤字、脱字が生じますし、写した時代の表記方法の影響もあります。
その人が元の本に敬意を表し、または学術的な意義を考慮し、コピー機のようにそっくり写す場合もあるでしょうし、好みや用途に応じて改作する場合もあるでしょう。
それでも幾たびかの戦乱、家系の栄枯盛衰、災害、虫食いを考えると、今から500年前の室町時代の本が残っていることすら奇跡にも思えます。

Si先生のお話によると、平安時代の作品で唯一、ほぼ原作どおりであると断言できるものがあるそうです。
それは紀貫之の『土佐日記』だそうです。
なぜ断言できるかというと、貫之自筆本が室町時代まで現存していたことが明らかであること。
その自筆本を直接書写した人物が少なくとも4人いること。
そのうちの1人が藤原定家です。
定家の写本は現在も残っていますが、一部を除き自分の考案した定家仮名遣いに書き直しているそうです。
他の3名は、藤原為家(定家の息子)、松本宗綱、三条西実隆で、現在その写本そのものは残っていませんが、これらの写本を写したものが伝わっています。
この3名は原本の仮名遣通りに書写したそうで、これら4種類の写本を校合することで、ほぼ貫之の原本どおりに再現できたわけなのです。
by honnowa | 2007-08-13 06:02 |