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ニュートラルな気づき 


by honnowa
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『抱一と江戸琳派』

タイトル   琳派美術館 ③抱一と江戸琳派
編  者    ㈱第二アートセンター
発行所    集英社
発行日    1993年9月8日第1刷発行
Cコード   C0371 (一般 全集・双書 絵画・彫刻)
内  容    抱一が開花させ門人に受け継がれた江戸琳派の絵画を紹介
動  機    江戸琳派ととくに酒井抱一について知りたくて
私の分類  美術
感  想    これまで琳派の資料を見てきて、宗達、光琳、其一の個性の違いは絵を観れば
  わかるのですが、抱一については掴めずにいました。
  そしてこの本でやっと「抱一らしさ」とは何か、がわかりました。
  抱一を知るには、抱一に至るまでの江戸の文化状況を知る必要があります。
  また抱一自身の境遇も知る必要があります。
  この本はそういった解説と、抱一らしさが何であるかの図版とわかりやすいキャプション、
  そして考証が載っています。

光琳は京の人です。
光琳が江戸に下ったのが(上るので下るのです)、この本によると1704~1711年。
その後、弟の乾山が江戸に下り釜を開きますが、江戸に真の民間画壇が形成されるのはもう少し時が要ります。
18世紀半ば、京では池大雅、円山応挙、伊藤若冲ら個性派が活躍し、町民文化の層の厚さを示すころ、ようやく江戸では町民の文化レベルが上がり、鈴木春信が錦絵(現在、一般的に浮世絵と呼ばれる多色刷りもの)を開発します。(1765年)
そして酒井抱一が生まれるのは1761年。
ちなみに葛飾北斎は1760年生まれ。
美人画で有名な喜多川歌麿は1753年生まれ。
江戸の町民(つまり民間)の教養と経済力が、やっと宗達、光琳を支えた頃の京の町民レベルに達し、江戸独自の文化が花開くころに、抱一は生まれるのです。

さて抱一は町人の生まれではありません。
姫路藩主の次男という、大名家のなかでも名門の生まれです。
幅広い教養の一つとしてとうぜん絵の基本は狩野派に学んだでしょう。
俳諧を嗜み句集を出版する、浮世絵を学び肉筆美人画も描く、南蘋(なんぴん)派の写生画も学ぶ、上方の円山派、四条派についても知ることができたし、谷文晁とも親交があった。
こういう当代随一の文化人が、40歳前後から琳派学習を始めるのです。
そして単に宗達、光琳の復興ではなく、二人の図像に抱一が身に付けていた、教養と技法を加味して、真に「抱一らしい」絵を作り上げていくのです。
宗達、光琳、後輩の其一にない「抱一らしさ」とは、江戸文化の粋と軽妙洒脱、出自の高さからくる気品と叙情性です。
王朝風を図像に取り入れたのは宗達、光琳ですが、精神的に王朝文化に近かったのは抱一でした。

ふう、こうして書いているだけでもスゴすぎる。
もう一つ書きたいエピソードがあるのですが、長くなりましたので、またあした。
by honnowa | 2007-07-10 05:16 |