『論語』の詞より 12
2007年 02月 19日
子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。
お世辞と、つくり笑顔の者には、まあ、仁の徳といったものはないだろうね。
子曰く、ただ仁者のみ能く人を好み、能く人を悪(にく)む。
いつでも、相手の立場に立って、ものを考えてやり、思いやりを自分の生命としている“仁”の人には、好むべき人と、悪むべき人は、自らはっきりしている筈であります。
子曰く、剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し。
このような性格、このような人柄の人たちが、“巧言令色”とは反対の人たちであることには間違いありませんん。
そうした人たちは、そのまま、“仁の人”であるとは言えないにしても、但し、“仁”に近いところで坐っている人たちであると言うことはできる。
※ 「剛毅木訥」について、井上靖は主人公に「一字ずつ区切って、剛、毅、木(樸)、訥の四
語として読むべきであるか、或いは剛毅、朴訥の二語として読むべきであるか」と語らせ
ています。
『人類の知的遺産4』では、「古注に『剛は無欲、毅は果敢(カカン)、木は質樸、訥は遅鈍
(チドン)』とある。まっ直ぐの正直さ、毅然とした強さ、飾り気のない純樸さ、寡黙なのろま
さ」としています。
子曰く、仁遠からんや、我れ仁を欲すれば、斯に仁至る。
“仁”は遠いところにある理想ではない。自分が“仁”を行おうと思えば、“仁”はすぐそこにある。すぐそこ、近いところにある。
子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如何せん。人にして仁ならずんば、楽(がく)を如何
せん。
人間、“仁”の心を持たないとあっては、“礼”など学んでも、どうなるものでもない。無駄なことである。“楽”の場合も、同じこと。“仁”の心なしに、“楽”など学んでも、意味をなさない。なんの足しにもならない。
※ 「楽」とは儀礼にともなう雅楽。礼と並んで人間の容儀・品性をととのえる。
※ 井上靖の小説『孔子』のなかで「天命」の次に多くページを割かれているのが「仁」につい
てです。
でも「仁」とは何ぞやと考えてもイメージを捉えにくいですよね。
07/1/23の記事で紹介しましたが、「仁」という漢字の成り立ちを知るととてもわかりやす
いです。
漢字はとてもストレートでしかも想像力豊かな表現ですね。