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ニュートラルな気づき 


by honnowa
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天命について考えてみよう。井上靖の『孔子』

井上靖の『孔子』を今、読み終えたばかりです。
ふう、ほぅ。
なんとも言えぬ余韻に浸かっています。
これほど平易で読みやすい文章なのに、孔子のこと、井上靖自身のメッセージ満載の濃い内容でした。
でも今、わたしを包んでいるものは孔子の偉大さや、内容の深さではなく、文学の薫りなのです。
おいしいお茶を頂いたかのような心地よさを味わっています。
これぞ、文学ですよ。
何でしょうね、この爽やかといってもいいくらいの読後の軽さと心地よさは。
充実した内容の本を読むと、多少の興奮と共に頭も熱っぽくなり、しばらく呆としてしまうことがありますが、この本はまるでそういう感じがしないのです。
ただただ読んでよかったという充実感が、香気となって立ち上ってきます。

先日の記事(07/1/24の記事参照)にも綴りましたが、読書中、読後、ずっと受けたのは、氏は若い人に読んでもらいたく、またそのように配慮して綴ったに違いないという印象です。
だから読後の余韻がこれほど軽やかなのです。
氏のことですし、ましてテーマが孔子なので、大人を感服させるつもりならば、例えば『天平の甍』のような文体で格調高く歴史文学らしく表現することもできたはずです。
若い方が、いくら考えても結論が出ることもないでしょうが、ないなりに天命について考えてみる。
また何十年後か、「三十にして立つ」、「四十にして惑はず」など孔子の詞を見聞きするごとに考えてみる。
天命がわかってもわからなくても考えてみる。
結論が出ても、出なくても、考える人生はきっと素晴らしいと思います。

わたしは天命と具体的に考えたことはこれまでないのですが、ここ数年人の運命について不思議に思うようになりました。
たとえば戦争や恐ろしい事件に巻き込まれ亡くなった方の話を見聞きするにつれ、その中には家族や周りから愛され慕われ、または豊かな才能を持ち、将来を嘱望されていた有能な人もいたに違いないのに、どうして若くして命を奪われてしまうのだろう、一方ぜんぜんそうでなく取るに足りない存在のわたしが何故こうして何事もなく無事に過ごして生きているんだろう。
考えれば考えるほど不思議でなりません。
残念ながらお亡くなりになられた方には、寿命とか運命という言葉をとりあえずは使いますが、では生きているわたしはどう考えればいいのか、考えをまとめる為にはどうしてもぴったりした言葉が必要です。
生きている、生存しているということが天命ということでしょうか。
by honnowa | 2007-01-26 07:30 |