ニュートラルな気づき 


by honnowa
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21日はha緑地の定例作業に参加しました。
毎月第3月曜日に行なわれるため、祭日にならないとなかなか参加できません。
今回は今まで参加した中で、一番ハードでした。

当日の名古屋の気象です。(気象庁HPより)
9時   気温:24.8℃ 快晴
10時  気温:25.8℃
11時  気温:25.5℃ 
12時  気温:26.2℃ 晴

この日もツクツクボウシが鳴いていました。
セミはいつまで鳴くんでしょう。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

  平地から山地まで、森林に幅広く生息する。地域によっては市街地でも比較的普通に発生す
  るが、基本的にはヒグラシと同じく森林性である。成虫は特に好む樹種はなく、ヒノキ、クヌギ、
  カキ、アカメガシワなどいろいろな木に止まる。警戒心が強く動きも素早く、クマゼミやアブラゼ
  ミに比べて捕獲が難しい。

  成虫は7月から発生するが、この頃はまだ数が少なく、鳴き声も他のセミにかき消されて目立
  たない。しかし他のセミが少なくなる8月下旬から9月上旬頃には鳴き声が際立つようになる。
  9月下旬にはさすがに数が少なくなるが、九州などの西南日本では10月上旬に鳴き声が聞こ
  えることがある。

別段、この時期に鳴いても不思議はないのですが、先週がとても涼しかったせいか、すっかり忘れていた夏の落し物が出てきたような感じです。
俳諧歳時記によると、秋の季語にありました。
『新改訂版 俳諧歳時記(秋)』(新潮社編 昭和43年改版) P140より

  法師蝉(ほうしぜみ) つくつくし つくつくぼ
  つくつくぼうし、つくつくぼうしと鳴く蝉で、一般に「法師蝉」と呼ばれている。体は暗黄緑色で黒
  い班があり、金色の毛が多い。翅は透明で、翅脈は褐色である。立秋の頃から鳴き出す。夕方
  灯のともる頃まで鳴いている。

ツクツクボウシを詠んだ句を探しましたら、正岡子規に辿り着きました。
子規が1901(明治34)年9月11日に聞いたツクツクボウシの鳴声は、「夏の落し物」といった風情ではなかったようです。

  「日本農業新聞」 > 四季(コラム) > 「[四季]9/11」
  (http://www.nougyou-shimbun.ne.jp/modules/bulletin11/article.php?storyid=997)

  コラム本文
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by honnowa | 2009-09-23 21:53
09/01/26の記事のつづきです。

ゴーギャンと言えば、サマセット・モームの小説『月と6ペンス』が有名ですが、講演の中でもう一つ彼をモデルにした小説の紹介がありました。
ペルーの作家マリオ・バルガス=リョサの『楽園への道』(河出書房新社 田村さと子訳)です。
ゴーギャンと、ゴーギャンの祖母フローラのエピソードを交互に配列した小説で、翻訳もとてもよいと、馬場館長のお薦めでした。

Amazon を見てみましたが、評価高いですね。
わたしはかつてガルシア=マルケスの『百年の孤独』で、南米文学に挫折したことがあるので、ついて行けるかなあ。

  『amazon.co.jp』より 『楽園の道』
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by honnowa | 2009-01-27 21:02 | 美術

『浮世絵 一竿百趣』

昨日08/09/17の記事のつづきです。

展覧会に展示された浮世絵のコレクター金森氏の著書をご紹介しましょう。
『浮世絵 一竿百趣 水辺の風俗誌』 (つり人社)です。

この本は2007年1月28日付け朝日新聞の書評に取り上げられました。
書評を書いたのはイラストレーターの南伸坊氏です。
展覧会のギャラリートークで、金森氏が「朝日の書評に取り上げられるなんて」と、とても嬉しそうにおっしゃっるので、拙ブログでも取り上げることにしました。
すみません、わたし自身はこの本は読んでいませんが、そういうわけです。

リンク先の画像の本の表紙についてですが、3代歌川広重の『東京滑稽名所 品川沖釣舟の狼狽』 (明治16年 1883年)です。
お魚でなく、お隣の舟の人を釣ってしまったんですね。
たくさんの数の舟です。
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by honnowa | 2008-09-18 06:15 |
08/04/29の記事のつづきです。

宮内庁HPの『参観案内』を観ますと、5つの施設に参観できますが、そのうちの3つは後水尾院に関係があります。

修学院離宮は、後水尾上皇の指示で、造営。
仙洞御所は、後水尾天皇が上皇になられた際に造営。
桂離宮の基礎を築いた八条宮家初代智仁親王は、後水尾院の叔父にあたります。

鎌倉幕府以来、政治の実権は武士が握りつつも、表向きは朝廷を立てていたため、なんとか保っていた朝廷の権威だったのですが、徳川家康は朝廷に積極的に介入し、権威さえも奪ってゆきます。
その徳川家になんとか抗おうとした人物が後水尾院でした。

一級の文化人であった後水尾院のことを知りたく思っていたので、ちょうどの機会とネットで検索掛けてみたのですが、なかなか文化人としての全容を伝えてくれるよいサイトが見つかりません。
そこでこちらのサイトを読みました。

  『松岡正剛の千夜千冊』様より 『熊倉功夫 「後水尾院」』

熊倉功夫氏の本への、松岡正剛氏の書評です。
書評というよりも、後水尾院についてかなり詳しく説明されています。
これでだいたいわかったような気になってしまっているのですが、いえいえ、いずれ熊倉氏の本のほうも、ちゃんと読みますよ。
なお、熊倉氏は林腹美術館館長で、『小堀遠州 美の出会い展』の図録に『小堀遠州の交友』という解説を寄せていらっしゃいます。 (08/03/13の記事参照)

明日は、冒頭の3つの建造物と小堀遠州の関わりをみていきたいと思います。


《参考サイト》

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『後水尾天皇』
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by honnowa | 2008-05-02 05:52 | 美術
昨日08/02/12の記事のつづきです。
宇田川榕菴の漢字表記については、参考サイトに従っております。
くわしくは08/02/10の記事をご覧下さい。

長崎大学のホームページでも宇田川榕庵が取り上げられています。

   『薬の歴史』>『長崎薬学史の研究』>『資料』より 『資料1:薬学年表』

1834年に名前が見えます。

   『薬の歴史』>『長崎薬学史の研究』>『第二章近代薬学の導入期』より
    『2.化学者としての上野彦馬』


下の方にスクロールしていただいて、『当時の化学の背景』という項目に取り上げられています。
それにしても偉大で身近な宇田川榕庵。
「物質」、「法則」、「成分」、「装置」などは、もっと古く、中国からきた言葉だと思っていました。

そしてもう一つ、

  『薬の歴史』>『長崎薬学史の研究』>『第一章近代薬学の到来期』より
    『3.日本最初の近代的薬剤師:ビュルガー』


下の方にスクロールしていただき、『九州各地の温泉水の化学分析』に榕菴の名前が見えます。
ここではシーボルトやビュルガーが温泉水の化学分析をした紹介のみで、榕菴は交流があったとのみ記されています。
しかし、数多くの温泉サイトに榕菴は取り上げられています。
その中から一つご紹介しましょう。

  『NPO法人 健康と温泉フォーラム』様より 『事業』

ここから、『温泉保養地学講座』の「3.「温泉保養地学講座」の分野」の『温泉保養地環境』より、[2]をクリックしてください。
ページの真ん中くらいに2箇所取り上げられています。

さてこれほどの功績の人物なのに、彼のことを取り上げた一般書がなんと少ないことか。
ドラマや小説にしても十分面白そうなのに。
時は化政文化の花盛り、脇役はシーボルトや杉田玄白。
硬い話だけでなく、コーヒーを初めて飲む場面や原書に基づいてあれこれ化学実験をする場面など、面白いエピソードも挿入できるでしょう。
ところがアマゾンなどで検索して、たった6冊しか見つけられませんでした。(08/02/09現在)
ごめんなさい、一冊も読んでいませんが、余りに少ないのと、榕菴に敬意を表して全て載せます。

  『シーボルトと宇田川榕菴―江戸蘭学交遊記』 (高橋輝和 平凡社新書)

  『江川太郎左衛門 宇田川榕菴―科学・技術の飛躍』 (熊谷聡 草川昭 ほるぷ出版)

  『舎密開宗―復刻と現代語訳 (1975年)』 (宇田川榕菴  田中実 講談社)

  『植学啓原=宇田川榕菴―復刻と訳 (1980年)』 (宇田川榕菴 矢部一郎 講談社)

  『菩多尼訶経 (1965年)』 (宇田川榕庵 大賀一郎 (著) 井上書店』

  『江戸の温泉学』 (松田忠徳 新潮選書)
  
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by honnowa | 2008-02-13 07:02 | 文化と歴史
昨日08/02/11の記事のつづきです。
宇田川榕菴の漢字表記については、参考サイトに従っております。
くわしくは08/02/10の記事をご覧下さい。

今回調べた中で、一番の労作はこちらのサイトでした。
刑事ドラマではありませんが、足で調べるとは、まさにこのことですね。
またわたしは現在図書館学の勉強をかじってますから、「図書館で調べる」という点でも、たいへんに勉強になりました。

  ㈱山田興産様の 『倉敷珈琲物語』より TOPページと目次

  『第35話「いよいよ岡山にやってきた!」』

  『第36話「津山洋学資料館」』

  『第37話「津山洋学資料館その2」』

  『第38話「津山洋学資料館 その3」』

  『第39話「ケンプエル江戸参府紀行」』

  『第40話 「ついに宇田川の文字が...」』

  『第41話 「歴史が変わる...?」』

  『第42話「玄随が初めて飲んだのは珈琲ではなくて...」』

以上が宇田川榕庵が取り上げられているページです。
あまりにも面白いので一つひとつリンクを張りました。
レポートはこの後も続いて、面白くてやめられなくて最後まで読んでしまいました。
レポートのこれより前の方は海外のコーヒーの歴史です。
そちらはまだ全部を目を通していませんが、オスマン帝国の歴史や文化に興味がありますし、現存する最古の喫茶店のお話も面白そう。
機会をみて、また取り上げてみたいと思います。
みなさんもぜひ読んでみてくださいね。

そして榕庵とは離れますが、こんなページもありました。
江戸時代は牛乳を飲む習慣はなかったので、ミルクなしでどんな風に飲んだのかなと思っていたのですが (08/02/03の記事参照)、同じ心配?をシーボルト先生もしていたとは。

  『第50話「シーボルト先生の珈琲販売論』

記事はまだまだつづきます。
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by honnowa | 2008-02-12 06:29 | 文化と歴史

セレンディピティ

「セレンディピティ」の語句の意味はこちらをご覧下さい。

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『セレンディピティ』

わたしがこの言葉を知ったのは、まだここ2年くらいの間です。
ノーベル賞受賞者の白川博士の『化学に魅せられて』 (岩波新書)に、この言葉が取り上げられていました。
たまたま図書館で本を探しているときに、なんとなく目についたので、初めのほうだけ立ち読みしたのです。
この言葉に興味がわき、実際に白川博士の場合はどうだったのか、続きを読みたかったのですが、その日は他に目的があったので本を戻しました。
以来、数回この言葉に接しました。

さて、現在わたしは『情報サービス概説』 (日本図書館協会)という本を勉強しています。
「情報」といってもさまざまですが、図書館情報学の本です。
コンピューターとネットの世界は進歩が早いので、はたして1997年発行のこの本の中身が、どれだけ実情とあっているのかなと感じる箇所もなきにしもあらずです。
(一応2007年に第10刷の本です)
そのことについては、また日をあらためて記事にするとして、この本にも「セレンディピティ」が取り上げられていました。
ただその取り上げ方が、わたしには腑に落ちないのです。
以下、引用しますと、

    項目『オンライン検索の長所と短所』より (P44)
  (8) 冊子体のような通覧性がないため、異なる検索の課程で、偶然他の情報を見つける
      といった可能性(セレンディピティ)はほとんどない。

    項目『検索方法の比較』より (P77)
   印刷メディアの場合には、主として見出しの配列に着目する必要があるが、その点電子
  メディアの場合には、特定の検索語を指定するだけであり、配列に関して意識しなくとも検
  索が可能である。しかし、印刷メディアの場合には、特定の情報を探そうとする場合に前
  後に配列された情報をたまたま見つけるといったことがあり得る。これは、セレンディピティ
  (serendipity)とよばれる現象であり、検索プロセスの中で無視することはできない。電
  子メディアの情報源の場合には、このセレンディピティはおよそ皆無に近いため、〈何か情
  報はないか〉 といった探し方をする情報検索行動には対応できない。

この本は図書館情報学の本なので、「図書館内での図書資料の検索」に限ると、こういう実情なのでしょうか。
さきに書いた白川博士の本を見つけたのは、たまたま嬉しい偶然です。
そして本の中の「セレンディピティ」という言葉が、妙に印象に残り、いまこうしてちょっとした一文を書いていることは、セレンディピティといえるかもしれません。
でもわたしの実感としては、漠然とした情報探しや、セレンディピティに出会いやすいのはオンライン検索のほうなのですが。
  
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by honnowa | 2008-02-09 09:15 |
昨日、08/01/09の記事のつづきです。

『トプカプ宮殿の至宝展』のグッズ売場で、図録やポストカードなどを選んでいるとき、とても気になる本をみつけました。
結局買わず、読んでいないのですが、どうしても気になるので取り上げます。

展示にちなんだ美術や文化紹介の本の中に、分厚い単行本の小説が並べられていました。
POPには「ノーベル文学賞」とあります。
現代作家に疎く、ましてトルコ人作家なんて誰も知らないので、一冊手にとって広げてみました。

広げた途端、活字が目に吸い込まれてゆきます。
あっ・・・、好みかも、面白そう。
しかし諦めて本を置きました。
長編小説を読む時間がないのです。
実はブログも本当は書いている場合ではない。
(でも書くけど)

本はまたいつか読めるからと思い、とりあえず、作家とその本について調べました。

  『藤原書店』様の 『わたしの名は紅』 (オルハン・パムク 和久井路子訳)

  西洋の影が差し始めた十六世紀末オスマントルコ――謎の連続殺人に巻き込まれ、宗
  教・絵画の根本を問われたイスラムの絵師たちの動揺、そしてその究極の選択とは。

面白そう~
「細密画師の工房と生活」とか「レパントの海戦」とか「コーヒーショップ」とか、しかも同時代のイタリア・ルネサンスと絡むみたいだし、しかもミステリー仕立て。
好みだわ、読みた~い!
テーマといい、手法といい、扱っている時代といい、何もかも好み!
どうしよ~
ブログを休んでも読むべきか・・・
いえ、次の長期休暇まで、じっと「お預け!」です。
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by honnowa | 2008-01-10 07:05 |

『土左日記』の新説

ブログを始めてから、『土左日記』を書いた紀貫之のことが、とても気になるようになり、いつか本格的に彼のことを勉強しようと思っています。
貫之の何が気になるかと言えば、仮名書きの日記を始めて書いたということ、つまり公的なものでなく私的な日記を書いたということ。
それと女性仮託、つまり匿名で書いたということが、わたしも含めてのネット上で匿名の日記を書くことと、共通点があるように思えるのです。

ところがこの前提を覆す新説が、最近登場したそうです。
発表されたのは小松英雄先生で、昨年の秋に出版された、『古典再入門』(笠間書院)という著書でのことです。

古典の授業では「男も書く日記というものを、女のわたしもしてみようと思い書くのです」と、貫之が女性の振りをして綴ったと習ったでしょう。
でも新説では「女文字してみよう」、男(なので本来は漢字で書くもの)だけど、女文字(つまり仮名)で書いてみよう、と解釈するのだそうです。
どうしてこのような解釈が成り立つのかと言うと、平安時代の文書には濁点が付いていないので濁点を付けると、区切り方でそのような読み方ができるのです。

わたしは先月、『和泉式部日記』をテキストに使い、濁点などを補い校訂本文に直すという作業を勉強したばかりなので、この話を聞いたときには、あっと思いました。
古典の勉強では、濁点を補うことは基本中の基本なのです。
ではどうしてこれまで誰も気づいた人がいなかったのかというと、あの藤原定家が女性仮託と解釈したからなのです。

小松先生の新説が定説を覆すのか、今後の研究が楽しみです。
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by honnowa | 2007-09-19 06:31 |
昨日07/09/15の記事のつづきです。

第一学習者の『高等学校 新編現代文』という、今年度の高校の国語の教科書に『愛用品の五原則』というエッセイが掲載されている武田邦彦先生とは、どんな人物なのでしょう。
教科書には次のように紹介されています。 (P38)

  武田邦彦 1943年(昭和18)─。 科学者(資源・材料)。
  東京都生まれ。著書に『分離のしくみ』 『プラスチック材料工学』 『リサイクル幻想』など
  がある。本文は『エコロジー幻想』によった。

まあ、これを読んでもさほどの興味は湧きませんよね。
武田先生がどんな方かもわかりませんよね。
文章のお上手な理系の学者さん、このごろ珍しくないですから。
まして同じ教科書には、養老孟司先生の文章も載っているのです。

さきごろアメリカ元副大統領アル・ゴア氏の『不都合な真実』が話題となりましたが、そのとき抱き合わせ(失礼な言い方で、ごめんなさい。)で話題になった、『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の著者で、バラエティ番組にも出演された大学の先生なのです。

現役高校生に、プラスティック材料のこと興味ある?と訊いてもまず皆無だと思うのですが、地球温暖化について関心があるか訊けば、少しはいると思うんですよ。
国語の先生、ポイントはここですよ。
武田先生の宣伝でこんなことを書いているのではないのです。
小説はともかくエッセイは、知らない人の書いた文章よりも知っている人の書いたもののほうが興味が引かれるではありませんか。
そうしたら多少は国語の授業も楽しくなるでしょう。
ついでに環境問題にまで脱線すれば、さらに有意義ではありませんか。

わたしはまだ武田先生の『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』は読んでいないのですが、文藝春秋7月号に掲載の『「不都合な真実」主犯は米国だ』で、先生の主張を知りました。
ゴア氏に対しても、先生に対しても賛同もあれば批判もあります。
でもたかが明日の地域の天気予報でさえ、はずれるのです。
日本列島に起こる地震でさえ、まだまだわたしたちの科学は予知できない。
まして地球規模の、です。
大事なのはあの人は正しい、正しくないでなく、自分で考え、さまざまなものを調べててみることです。

そして今回わたしが伝えたかったのは、国語の教科書にも載るような方で、有名な小説家以外の方でも、ユニークな方、話題の方がいる。
教科書だからつまらない、国語の教科書なんて面白くない、と先入観をもたずに、自分の知らない未知の面白さが隠れているかもしれない、ということなんです。
読書は奥が深いのです。
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by honnowa | 2007-09-16 08:28 |