「××さんがお昼の12時を、“午前12時”にしたんだけど、“午前12時”と“午後12時”と本当はどちらがいいんだろう?」
彼女の口ぶりでは、“午後12時”が正しいと思っているようですが、“午後12時”は明らかに間違えなので、
「“午前12時”と“午後0時”でしょ」と訂正してあげたのですが、また繰り返し「午前12時”と“午後12時”」と言うので、こういう訳のわからないコは放っておくことにして、自分で“午前12時”と“午後0時”とどちらがよいのか調べてみることにしました。
いつものことながら、
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『正午』
この『Wikipedia』の内容は、面白い。
これは調べるきっかけをくれたKちゃんに感謝ですね。
彼女の激しい勘違いもたまにはいいことあります。
記述は短いので、ぜひリンク先で読んで下さい。
一応、「午前12時」が法的には正しいようです。
記述の参考とされている「独立行政法人情報通信研究機構周波数標準課」というのも、世の中いろいろな職場があるもんですね。
『Wikipedia』のページの下に記述されていた「気象庁の時間細分」も勉強になりました。
わかっているような概念も、いざ言葉で記そうとすると、些細なことに迷うものなのです。
例えば「未明」
具体的に何時かご存知でしたでしょうか。
なんとも漠然としたタイトルですが、チラシには「現代アートが生活の只中に介在し溶け込むシーンを提案いたします」とありました。
7名の方の作品が展示されていましたが、花澤洋太氏の作品がちょっとユニークでした。
大きくうねった土台に小さな四角がたくさん描かれています。
あたかも油絵具の上にタイルかガラス片を埋め込んだかのようです。
明るい色彩と、厚塗り絵具の光沢で画面はなかなかきれいでした。
失礼ながら絵画というよりも建材感覚で眺めていたのですが、それゆえ現代日本人の普通の生活空間に飾れる作品だと思います。
眺めながら、自宅のさまざまな場所に飾ったところを想像してみました。
どこに置いても違和感なさそうですし、幾つ置いてもよさそうです。
『大辞林 第二版』(三省堂)より
つゆぞら 【《梅雨》空】
梅雨の時期の空一面を雨雲がおおっている空模様。[季]夏。
季語なので、『新改訂版 俳諧歳時記(夏)』(新潮社編)をあたってみますと、
梅雨どきの空である。少し小止みになって空の一方から薄日が射すかと思うと、またしとし
とと降り出す。黒雲が低く垂れこめて昼なお暗い感じのする空、底抜けにぞうぞうと雨を降
らす空、そういう梅雨の空である。「梅天」(ばいてん)も同じである。
梅雨空の俄(には)かに裂けし日射しかな 徳川夢声
あらためて知ると、「梅雨空」は様々な様相を表す言葉ですね。
この解説もよいし、徳川夢声の句も、情景が目に浮かびます。
久々に朝日を見ました。
昨日も終日雨交じりの曇天でしたが、昼に少し雲が切れ、紫陽花も色あせてきましたし、そろそろ梅雨も終わりでしょうか。
いえいえ、天気予報を確認しましたら、梅雨の中休みということでした。
まだまだですね。
この週末も雨でしたが、22日の日曜日はきれいな明るい色の絵を観て気分転換を図ろうと、名古屋ボストン美術館の『クロード・モネの世界』展を観てきました。
この展覧会、実はモネの作品はたった24点しかありません。
全体でも58点です。
しかしながらわたしが1番見たかったアルジャントゥイユの頃の作品もありましたし、後半生の有名な作品群、「積藁」、「ルーアン大聖堂」、「セーヌ川」、「チャリングクロス」、「睡蓮」もありましたし、少ないながらもモネの画業をよく網羅しています。
また有名な連作時代への過渡期の頃の作品も確認ができ、わたしとしては収穫ある展覧会でした。
1888年ごろモネは南フランスへ行き、絵を制作しています。
ちょうどゴッホがアルルに向かう直前なのですが、そのモネの絵のタッチがゴッホ風なのが興味深かったです。
そのような筆遣いが似合う土地なのでしょうか。
展示の半数以上はモネ以外の作品ですが、いずれもモネの作品との比較検討のためによく吟味されておりました。
比較のためとはいえ、終生の友であったルノアール、同時代に活躍した、ドガ、シスレー、ピサロ、セザンヌ、そしてミレー、コロー、ブータンといった先達たちと、並べる作品がまたいいのです。
特に歌川(安藤)広重の浮世絵と並べての展示は勉強になりました。
浮世絵の影響は相当に深い。
日本趣味を作品のモチーフや生活に取り入れていたというだけでなく、広重の構図をモネはよく研究していたようです。