ニュートラルな気づき 


by honnowa
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カテゴリ:文化と歴史( 44 )

山茶碗 1

瀬戸蔵ミュージアムの3階は、瀬戸焼の歴史を辿ることができる展示になっています。
(08/06/17の記事参照)
1100年代からは、「山茶碗」というものがたくさん展示されていました。
山茶碗?
その碗は浅めのサラダボウルというか、シリアルを食べるのにちょうどよさそうな形状でした。
しかしお茶をいただく向きではありません。
そもそも喫茶の習慣が定着するのは、栄西禅師が宋からお茶を持ち帰った1200年ごろ以降のことです。
茶碗といっても、別の用途に用いられたのでしょう。
案内チラシによると、

  ②「山茶碗と古瀬戸」 11世紀末~15世紀後半
  平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、釉薬をかけない日用雑記の山茶碗等が生産
  され始め、一方で当時、国産唯一の施釉陶器「古瀬戸」が生産されるようになります。宗
  教関連の器物生産から開始された古瀬戸は、次第に多様な器種を生産するようになり、
  全国に広く流通するようになります。

山茶碗とはどのようなものなのでしょう。
これについては、下記参考サイトを一通り読んでみました。
が、まだまだ研究途上のようで、わたしがかいつまんで説明できるようなお話ではありませんでした。

『増補 やきもの事典』(平凡社)によりますと、

  山茶椀(やまぢゃわん)
  東海地方の中世の瓷器系陶器窯で量産された日常用の食器の俗に行基焼・藤四郎焼と
  いわれるもので、山地に転がっていることからこう呼ばれる。

「山地に転がっている」とは何ともぞんざいな言い方ですが、展示されている出土品をみると、本当にそんな感じです。
展示を見ると一目瞭然なのですが、画像がなくて残念です。
無釉のお椀が、積み重なった状態で大量に出土しています。
なんだか瀬戸物のお店の店頭で飯茶碗や丼が重ねて紐で縛って置いてあったのが、ある日突然、ポンペイの遺跡のように火山の噴火で一瞬に埋まり、発掘されると、こんな感じかなと想像してしまいました。


《参考サイト》

  『常滑ラボ』様より 『中世の常滑焼』から 『山茶碗という焼き物(2002/12/21)』

  『財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター』様より
  > Downlords  > 研究紀要 > 第7号 >
    『山茶碗の用途をめぐって ─摩滅痕の分析から─』
  (http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo07/0708take.pdf)
  ※ PDFファイルで4.18MBありますので、リンクは張りませんでした。
 
  『瀬戸市』様より
  (http://www.city.seto.aichi.jp/files/rekishi/newpage3.htm)
  
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by honnowa | 2008-06-29 07:54 | 文化と歴史

正午

職場のKちゃんが、行事開催案内チラシの集合時間について、こう言ってきました。
「××さんがお昼の12時を、“午前12時”にしたんだけど、“午前12時”と“午後12時”と本当はどちらがいいんだろう?」
彼女の口ぶりでは、“午後12時”が正しいと思っているようですが、“午後12時”は明らかに間違えなので、
「“午前12時”と“午後0時”でしょ」と訂正してあげたのですが、また繰り返し「午前12時”と“午後12時”」と言うので、こういう訳のわからないコは放っておくことにして、自分で“午前12時”と“午後0時”とどちらがよいのか調べてみることにしました。

いつものことながら、

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『正午』
  
この『Wikipedia』の内容は、面白い。
これは調べるきっかけをくれたKちゃんに感謝ですね。
彼女の激しい勘違いもたまにはいいことあります。
記述は短いので、ぜひリンク先で読んで下さい。

一応、「午前12時」が法的には正しいようです。
記述の参考とされている「独立行政法人情報通信研究機構周波数標準課」というのも、世の中いろいろな職場があるもんですね。

『Wikipedia』のページの下に記述されていた「気象庁の時間細分」も勉強になりました。
わかっているような概念も、いざ言葉で記そうとすると、些細なことに迷うものなのです。
例えば「未明」
具体的に何時かご存知でしたでしょうか。
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by honnowa | 2008-06-27 05:53 | 文化と歴史
昨日08/06/12の記事の続きです。
名前の表記は昨日同様、『オランダ紀行』、または引用先に従います。

ボードイン博士のことを調べていましたら、上野公園に銅像が建てられていることがわかりました。
上野公園の公式HPを見ましたら画像もありました。

  『上野恩賜公園』様より 『みどころ』

上野公園は何度か行ったことがありますが、もっぱら美術館や博物館ばかりで。
次に行くときには、他の建造物などにも注意してみたいと思います。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の『アントニウス・ボードウィン』の項に、太田胃散が取り上げられていたのが面白く、誰でも自由に書き込みできる辞書なので、念のため太田胃散のHPを調べましたら、そのことがきちんと書いてありました。

  『㈱太田胃散』様のHPより
  (http://www.ohta-isan.co.jp/06company/index.html)

余談をもう少し続けます。
上記で太田胃散のリンクを張らなかったのは、リンクポリシーに連絡の旨が記されていたからです。
こちらは毎日更新のブログ記事内のことなので、リンクを張ることを見合わせました。
昨日の記事では、3つのニュースサイトのリンクを張りましたが、それも理由があるので、ここに記しておきます。

3つ目の『excite.ニュース』は、わたしがexciteのブログサービスを利用していて、トラックバック機能を利用できるからです。
『毎日jp 』、『四国新聞社』はリンクフリーでかつ、連絡不要が明記されていました。
新聞社系サイトで連絡不要でよいのは初めてみつけましたので、2つとも張ることにしました。
他の新聞社系サイトはリンクフリーは謳ってあるものの、事前連絡が必須になっているので、なかなか利用しづらいところがあるのです。
毎日も以前はそうだったと思うのですが。
四国新聞社は、ネット利用について積極的な姿勢が伺えます。
記事に「この記事のリンクURL:」が表記されていたり、「メールで記事を紹介」という機能もついていました。
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by honnowa | 2008-06-13 06:45 | 文化と歴史

トプカプ宮殿の食器 1

先日取り上げました宇田川榕菴の絡みで、コーヒーのサイトも幾つか読みましたが、コーヒーの歴史を語るのに、オスマン帝国の存在は欠かせません。
08/02/1008/02/12の記事参照)
コーヒーに関わるオスマン帝国の歴史と文化について、詳しく踏み込んでみたい気持ちはあるのですが、現在のわたしにそこまでの余裕はありませんから、きょうは『トプカプ宮殿の至宝展』で観た豪華なコーヒーポットやコーヒーカップ受けを紹介しようと思いました。
08/01/0908/01/24の記事参照)

ところがですね、画像がなかなかないのです。
確かにトプカプの絢爛豪華な至宝の中で、食器の占める地位は、大したものではないでしょう。
でも一番オスマン帝国らしいんところなんですよ。
絢爛豪華な衣装なら、他の文化圏にもあるでしょう。
建物ならヨーロッパにもたくさんあるし、絵画も然り。
他の文化圏にはない好尚という意味では、食器がオスマン帝国のキーポイントだと思うのです。

手元に図録があるので方法がないわけではないのですが、「研究のための引用」と呼ぶには程遠いきょうの記事の内容なので止めておきます。

わたしが展覧会で観たものではありませんが、少しだけトプカプ宮殿博物館の公式サイトで画像を見つけることができましたので、それをご紹介しましょう。
まずはおさらいに『トプカプ宮殿の至宝展』の公式サイトから。
(リンクは張っていません)

  asahi.com様の 『トルコ・イスタンブール歴史紀行 トプカプ宮殿の至宝展 
                  ~オスマン帝国と時代を彩った女性たち~』
  (http://www.asahi.com/topukapu/intro/intro_3.html)

そしてトプカプ宮殿博物館の公式サイト

  『THE TOPKAPI PALACE MUSEUM TOPKAPI SARAYI 』

さてここから豪華な食器を見るには、左サイドバーの「Main sections:」から「・Imperial Treasury」をクリック。
下の方にスクロールすると所蔵品のサムネイルが表示されています。
食器は少し下のほうからです。
これでどうやって飲み食いしたの?と思うほどの宝飾でしょう。
下から3番目に『Gold sherbet set 』がありますね。
図録の解説によりますと(P93)、

  シャーベットの起源は、アラブ世界に求められる。オスマン帝国のシャーベットは果物、
  薔薇、ジャスミン、睡蓮などの花、または薬草から作られる甘味の強い伝統的飲料であ
  る。

そして確か展覧会のキャプションには、「その後ヨーロッパに伝わり、現在のような冷菓になった」と書かれていました。

さてもう一つ見ていただきたいものがあるのですが、長くなりましたので、続きはまた明日。
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by honnowa | 2008-02-22 06:50 | 文化と歴史
昨日08/02/12の記事のつづきです。
宇田川榕菴の漢字表記については、参考サイトに従っております。
くわしくは08/02/10の記事をご覧下さい。

長崎大学のホームページでも宇田川榕庵が取り上げられています。

   『薬の歴史』>『長崎薬学史の研究』>『資料』より 『資料1:薬学年表』

1834年に名前が見えます。

   『薬の歴史』>『長崎薬学史の研究』>『第二章近代薬学の導入期』より
    『2.化学者としての上野彦馬』


下の方にスクロールしていただいて、『当時の化学の背景』という項目に取り上げられています。
それにしても偉大で身近な宇田川榕庵。
「物質」、「法則」、「成分」、「装置」などは、もっと古く、中国からきた言葉だと思っていました。

そしてもう一つ、

  『薬の歴史』>『長崎薬学史の研究』>『第一章近代薬学の到来期』より
    『3.日本最初の近代的薬剤師:ビュルガー』


下の方にスクロールしていただき、『九州各地の温泉水の化学分析』に榕菴の名前が見えます。
ここではシーボルトやビュルガーが温泉水の化学分析をした紹介のみで、榕菴は交流があったとのみ記されています。
しかし、数多くの温泉サイトに榕菴は取り上げられています。
その中から一つご紹介しましょう。

  『NPO法人 健康と温泉フォーラム』様より 『事業』

ここから、『温泉保養地学講座』の「3.「温泉保養地学講座」の分野」の『温泉保養地環境』より、[2]をクリックしてください。
ページの真ん中くらいに2箇所取り上げられています。

さてこれほどの功績の人物なのに、彼のことを取り上げた一般書がなんと少ないことか。
ドラマや小説にしても十分面白そうなのに。
時は化政文化の花盛り、脇役はシーボルトや杉田玄白。
硬い話だけでなく、コーヒーを初めて飲む場面や原書に基づいてあれこれ化学実験をする場面など、面白いエピソードも挿入できるでしょう。
ところがアマゾンなどで検索して、たった6冊しか見つけられませんでした。(08/02/09現在)
ごめんなさい、一冊も読んでいませんが、余りに少ないのと、榕菴に敬意を表して全て載せます。

  『シーボルトと宇田川榕菴―江戸蘭学交遊記』 (高橋輝和 平凡社新書)

  『江川太郎左衛門 宇田川榕菴―科学・技術の飛躍』 (熊谷聡 草川昭 ほるぷ出版)

  『舎密開宗―復刻と現代語訳 (1975年)』 (宇田川榕菴  田中実 講談社)

  『植学啓原=宇田川榕菴―復刻と訳 (1980年)』 (宇田川榕菴 矢部一郎 講談社)

  『菩多尼訶経 (1965年)』 (宇田川榕庵 大賀一郎 (著) 井上書店』

  『江戸の温泉学』 (松田忠徳 新潮選書)
  
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by honnowa | 2008-02-13 07:02 | 文化と歴史
昨日08/02/11の記事のつづきです。
宇田川榕菴の漢字表記については、参考サイトに従っております。
くわしくは08/02/10の記事をご覧下さい。

今回調べた中で、一番の労作はこちらのサイトでした。
刑事ドラマではありませんが、足で調べるとは、まさにこのことですね。
またわたしは現在図書館学の勉強をかじってますから、「図書館で調べる」という点でも、たいへんに勉強になりました。

  ㈱山田興産様の 『倉敷珈琲物語』より TOPページと目次

  『第35話「いよいよ岡山にやってきた!」』

  『第36話「津山洋学資料館」』

  『第37話「津山洋学資料館その2」』

  『第38話「津山洋学資料館 その3」』

  『第39話「ケンプエル江戸参府紀行」』

  『第40話 「ついに宇田川の文字が...」』

  『第41話 「歴史が変わる...?」』

  『第42話「玄随が初めて飲んだのは珈琲ではなくて...」』

以上が宇田川榕庵が取り上げられているページです。
あまりにも面白いので一つひとつリンクを張りました。
レポートはこの後も続いて、面白くてやめられなくて最後まで読んでしまいました。
レポートのこれより前の方は海外のコーヒーの歴史です。
そちらはまだ全部を目を通していませんが、オスマン帝国の歴史や文化に興味がありますし、現存する最古の喫茶店のお話も面白そう。
機会をみて、また取り上げてみたいと思います。
みなさんもぜひ読んでみてくださいね。

そして榕庵とは離れますが、こんなページもありました。
江戸時代は牛乳を飲む習慣はなかったので、ミルクなしでどんな風に飲んだのかなと思っていたのですが (08/02/03の記事参照)、同じ心配?をシーボルト先生もしていたとは。

  『第50話「シーボルト先生の珈琲販売論』

記事はまだまだつづきます。
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by honnowa | 2008-02-12 06:29 | 文化と歴史
昨日08/02/10の記事のつづきです。
宇田川榕菴の漢字表記については、参考サイトに従っております。
くわしくは昨日の記事をご覧下さい。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
蘭学者であること、医者であること、幕府の翻訳員であること、百科事典の翻訳、シーボルトとの交流、薬学書の出版、西洋の植物学の紹介、近代化学の紹介、西洋の度量衡の単位の紹介、オランダの歴史と地理の紹介、コーヒーの紹介が載っていました。
このような人物なので、ほんとうにさまざまなサイトに取り上げられていました。
以下、幾つかご紹介しましょう。

・ 化学書『舎密開宗』の著者、比重計を紹介。

  『計装プラザ』様の 『計測ミュージアム』 >『流量計測の歴史』より
    『日本の科学技術史』

  
こちらの1枚目(P44)、3枚目(P46)、4枚目(P47)です。
なお、『流量計測の歴史』は、単行本『流れわざのシルクロード』 (小川胖 日本工業出版)として出版されておりますので、併記しておきます。

・ 「細胞」の邦訳

 東京農工大学様の農学部1年生向け『生物学基礎テキスト』より 『第5章 細胞』

リンク先ページの最初のほうに載っています。
「細胞」という言葉をいままで何気なく使っていましたが、よく考えてみると実にうまい表現だと感心します。
元は「cell」です。
新英和中辞典 第6版 (研究社)によると、

  cell /sl/→
  1 小室:
  a (修道院付属の)庵室,個室.
  b (刑務所の)独房,(小人数の)監房.
  c (ハチの巣の)穴.
  d 【生物】 細胞.
  2 (共産党などの政治組織または秘密結社などの)支部.
  3 【電】 電池 《★cell が集まったものが battery》.→
  ラテン語「物を秘匿する場所」の意

元の言葉は部屋や場所を表わしています。
では榕庵が邦訳した「細胞」の「胞」の字ですが、
新撰 漢和辞典 新版 (小学館)によると、

  ①〈えな〉胎児を包む薄い膜。
  ②はらから。実の兄弟。 =「同胞」
  ③生物体を組する単位。=「細胞」
  [解字] 形成。月が形を表わし、包ほうが音を示す。月は肉。包にはつつむという意味が
       ある。胞は、出産のとき、胎児をつつんでいる膜のことである。

生物としての最小単位である細胞を表わすのに、「細胞」という言葉ほど適した表現が他にあるでしょうか。

明日も続けます。
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by honnowa | 2008-02-11 07:23 | 文化と歴史
先日3日に『お待たせしました。「かうひい」をどうぞ』という記事を書きました。 
記事中の画像『かうひい異名熟字一覧』ですが、わたしはケータイ写真なので、あの画像以上には読めないのですが、デジカメで写真を撮ったNさんから、次の興味深いコメントをいただきました。

   早速コーヒー異名ですね。
  この表を改めて見て気がついた事があります。表の24番目が現在使われている漢字
  「珈琲」でした。この出展が(榕庵の作字ならん)と書いてありました。これは江戸時代の植
  物学、化学者宇田川榕庵だと思います。榕庵は化学用語「元素」とか「成分」などを作った
  人で、「珈琲」の日本語を作ったのも納得できますね。

さすが、歴史とデジカメのNさん!
みなさんは宇田川榕庵のことをご存知でした?
わたしは初耳だったのですが、なんだか面白そう。
さっそくネットでこの人物について調べてみました。

まずこの人物の名前の字ですが、調べていく中で本人の直筆資料の画像などを見ますと、宇田川榕が本来であるようです。
しかし、しかるべき文献にあたっていないので私見ですが、「宇田川榕」でも間違いではないと思います。
デイリーコンサイス中日辞典 (三省堂)では、

  《庵(菴)》
  a n
  (1) 庵(いおり),草ぶきの小屋.
  (2) (尼僧の住む)庵(あん).

となっておりました。
ちなみにGoogle検索で「宇田川榕」は2280件、「宇田川榕」は、3060件となりました。(08/02/09現在)
以下からはすべて参考サイトに合わせて表記しますので、宜しくお願いいたします。

宇田川榕菴について

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『宇田川榕菴』 

これを読むだけでも面白いですよね。
このブログに理系の現役高校生や大学生の読者はいるかしらん。
(たぶんいないだろうなあ)
あなたたちが勉強している「酸素」、「水素」、「窒素」、「炭素」、「酸化」、「還元」、「溶解」、「分析」、「細胞」、といった用語は宇田川榕菴の造語なんですって。
わたし、現役の頃にそのこと知っていたらもっと身を入れて勉強したかも。
そういう人物が片や、「珈琲」という字も考案したなんて素敵です~

頭のいい人というのは、どんな進路を選んでも、まず基本として言語能力に優れているものですが、宇田川榕菴にもそれを感じます。
『菩多尼訶経』(ぼたにかきょう)も単なる当て字でなく、宇田川自身や当時の人々の蘭学に対する敬虔な気持ちを彷彿とさせます。
『舎密開宗』(せいみかいそう)もいい雰囲気。
もともと西洋でも化学は錬金術から発展したのですから、当時の化学というものの醸しだす独特の空気が字に表れているような感じがしませんか。

珈琲については、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

  日本語の「コーヒー」は、江戸時代にオランダからもたらされた際の、オランダ
  語の"koffie"の音(コーフィー[1])に由来する。漢字による当て字である「珈琲」は、宇田
  川榕菴が考案したものと言われる。これ以外にも、「可否」(可否茶館)、「カウヒイ」(大田
  南畝『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』)「哥非乙」(宇田川榕菴『哥非乙説』)[2]などの表記も
  過去には用いられた。

「コーヒー」が英語の発音とまるで違うのは、オランダ語が元だからなんですね。

さてさて宇田川榕菴が面白いのは、これだけではありません。
他にもさまざまなジャンルのサイトに取り上げられていました。
続きはまた明日。
Nさん、本当にありがとうござました。
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by honnowa | 2008-02-10 06:44 | 文化と歴史
無茶苦茶なタイトルになってしまいました。
調べていくと繋がっていたものですから。
季節柄、「芋づる式」のようで、面白いです。
昨日07/10/30の記事のつづきです。

最初に煎茶を伝えたのが、または日本で広めたのが誰か、いくつかのサイトで調べてみたのですが、はっきりとはわからないようです。
ただ茶葉の伝来については、黄檗宗の開祖、隠元禅師の名前が挙げられています。
黄檗宗、隠元禅師といえば「若冲展」で観た、 『黄檗山万福寺境内図(おうばくさんまんぷくじけいだいず)』に関連して調べたところです。 (07/06/1207/06/13の記事参照)
そしてその繋がりで漱石の『草枕』にも言及しました。
『草枕』にはお茶の味わい方についてもいい文章があるので、もう一度『草枕』まで辿ろうと思います。
よってこのタイトル。

さて話を戻し、煎茶を広めたと記録上はっきりしているのは、高遊外賣茶翁(こうゆうがいばいさおう)という人物で、黄檗宗の禅師です。
詳しくはこちらをご覧ください。

  『賣茶正流煎茶・好石流瓶華』様より 『煎茶の歴史』

  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 『売茶翁』

このように風流、いえ賣茶翁の場合は禅の道を究めた人もいるのですね。
禅の心にどうしてお茶が必要なのか、興味は尽きません。
わたしもこのような風流の境地に、自分なりに近づきたいです。
それには読んでくださった方に、「お茶を一杯どうぞ」の精神でしょうか。

そして賣茶翁は若冲とも親交があったようですね。
こういうことを知るだけでも、なんとなくこの頃の京の雰囲気がわかるような気がします。
政権が京から江戸に移り百年経ち、京では形式ばかりににとらわれない個性豊かで自由な町衆の気風が溢れていたのだと想像します。

長くなりましたので、続きはまた明日。
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by honnowa | 2007-10-31 06:07 | 文化と歴史

明日は何の日でしょうか

明日は何の日でしょうか。
ハロウィーン。
そうなんですね。
お店のディスプレイはニタニタ笑うカボチャばかりです。
若いお母様方に伺うと近頃は町内ぐるみの行事になっているそうで、子供たちがお菓子を貰いに各お宅を回ってくるので、用意しなくてはならないそうな。
そんなに世間では定着していたのですね。
というか、外国行事の受け入れが早いよ~、この国。

さてハロウィーン以外に、明日は「日本茶の日」でもあります。
こちらも元々は外国(中国)文化でした。
「1192年(建久2年)、臨済宗の開祖・栄西が宋から帰国し、茶の種子と製法を持ち帰りました。」のが今日ということのようです。

  (社)鹿児島県茶生産協会様のホームページより 『お茶のマメ知識』

ページの下の方にあります。
お茶に関する記念日、いろいろありますね。
栄西禅師についてはこちらが詳しいです。

   カワサキ機工㈱様の 『お茶街道』より 
    『人物クローズアップ』から 『第1回 栄西禅師』


栄西禅師の広めたお茶はすぐに上流階級に広まりましたが、それは抹茶です。
日常によく飲まれる煎茶はもう少し後の時代に、やはり中国から伝わりました。
この続きはまた明日。
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by honnowa | 2007-10-30 07:05 | 文化と歴史