ニュートラルな気づき 


by honnowa
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2007年 04月 22日 ( 1 )

宮城谷昌光の『楽毅』には、漢字が多彩に使われています。
これは量が多いということではありません。
ページを開くと、一見ひらがなが多く見やすいです。
新聞記事ほども漢字は使われていませんし、わたしが日常漢字で綴るような字さえひらがなが使われています。
ではどういうところに漢字を使っているかというと、古代中国の物語なので、当然、人物名と地名、武器などの物の名前、役職名、それと著者が微妙なニュアンスの違いを文体を崩さずに表現したい場合でしょうか。
そして漢文を日本語に書き下したような独特の言い回しの部分。
それ以外のところでは読みやすさ優先でひらがなにしているように見受けられます。

ニュアンスの区別のための漢字の使い方ですが、たとえば「くらい」という言葉。
氏は作中(まだ読んでいる途中ですが)、 懜い、黮い、幽い、蒙いと使い分けています。
懜い、黮い、幽いは意味的にも「暗い」で統一できるのですが、どのような暗さかが違うのです。
興味のある方は辞書を引いてみましょう。
でも辞書をひも解かなくても、なんとなく字を見ていると、ニュアンスの違いわかりますよね。
漢字って面白いですよね。
どの程度「暗い」のかを文章の中で説明するというのも手法ですが、文体のテンポやリズムにも関わりますから、氏の場合は、それらの説明を全て漢字に任せたといえます。

それから漢文らしい言い回しとしては、「愁眉が解けていく」、「哂笑(しんしょう)する」など。
氏の文体は、一文が短くテンポがよい。
こういう文章はともすると単調になりがちですが、それを多彩な言い回しが防いでいます。
動作を表す言葉、感情が表情など表面に現れたときの言葉など、その豊富なボキャブラリーには目をみはるばかりです。
テンポがよいし、時代背景など必要な知識は物語の中で説明されているので、ささっと読めてしまえるのですが、それではもったいないという気がしてきました。
漢字の勉強がてら記事を綴ろうと思います。
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by honnowa | 2007-04-22 08:09 |