ニュートラルな気づき 


by honnowa
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山茶碗 2

08/06/29の記事のつづきです。

重複しますが、山茶碗の解説です。
(瀬戸蔵ミュージアムの案内チラシによる)

  ②「山茶碗と古瀬戸」 11世紀末~15世紀後半
  平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、釉薬をかけない日用雑記の山茶碗等が生産
  され始め、一方で当時、国産唯一の施釉陶器「古瀬戸」が生産されるようになります。宗
  教関連の器物生産から開始された古瀬戸は、次第に多様な器種を生産するようになり、
  全国に広く流通するようになります。

では次に古瀬戸を『増補 やきもの事典』(平凡社)でみてみましょう。

  古瀬戸(こせと)
  近来一般に中世(鎌倉・室町時代)瀬戸窯の施釉陶器を指す言葉で、無釉の椀・皿・鉢
  類(俗に山茶碗の製品)は含めない。また元来陶祖藤四郎作の茶入及び同種の黒色の
  天目釉を指す古瀬戸(ふるせと)とは全く別の概念。

無釉の山茶碗が大量に作られる以前は、灰釉陶器という釉薬を施したものが製作されていました。

  灰釉陶器(かいゆうとうき)
  灰釉を人工的に施したものをいうが、わが国では奈良・平安時代の植物灰施釉のものを
  指して呼ぶことが通常である。白瓷(しらし)ともいう。猿投窯を中心に東海地方に拡大生
  産された高火度施釉陶で、初期には仏器等の金属器を写し、盛期には中国陶磁を模倣し
  てさまざまな器種を生産した。

  白瓷(しらし)
  平安時代の文献などにみられる語で灰釉陶器をいう。『安祥寺伽藍縁起資財帳』
  (871年)が初現で、以後12世紀まで記録にあることから、猿投窯を中心に生産された灰
  釉陶器を白瓷と統一呼称する意見が定着しつつある。

  猿投窯(さなげよう)
  名古屋市東部丘陵地の20キロメートル四方にわたって分布する須恵器と灰釉陶器を焼
  成したわが国最大の古窯跡群。猿投山西南麓に広がることからこの名がある。総数500
  基を数える古代窯に中世山茶椀窯を含めると1000基にのぼる。特に灰釉陶器生産窯が
  顕著で、多口瓶・水瓶・浄瓶・火舎(かじや)・唾壺・合子・陶枕など多種類の製品を生産
  した。陰刻花文を施したものも多く、中に緑釉陶器窯数基を含む。
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by honnowa | 2008-07-01 06:25 | 文化と歴史