ニュートラルな気づき 


by honnowa
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山茶碗 1

瀬戸蔵ミュージアムの3階は、瀬戸焼の歴史を辿ることができる展示になっています。
(08/06/17の記事参照)
1100年代からは、「山茶碗」というものがたくさん展示されていました。
山茶碗?
その碗は浅めのサラダボウルというか、シリアルを食べるのにちょうどよさそうな形状でした。
しかしお茶をいただく向きではありません。
そもそも喫茶の習慣が定着するのは、栄西禅師が宋からお茶を持ち帰った1200年ごろ以降のことです。
茶碗といっても、別の用途に用いられたのでしょう。
案内チラシによると、

  ②「山茶碗と古瀬戸」 11世紀末~15世紀後半
  平安時代の終わりから鎌倉時代にかけて、釉薬をかけない日用雑記の山茶碗等が生産
  され始め、一方で当時、国産唯一の施釉陶器「古瀬戸」が生産されるようになります。宗
  教関連の器物生産から開始された古瀬戸は、次第に多様な器種を生産するようになり、
  全国に広く流通するようになります。

山茶碗とはどのようなものなのでしょう。
これについては、下記参考サイトを一通り読んでみました。
が、まだまだ研究途上のようで、わたしがかいつまんで説明できるようなお話ではありませんでした。

『増補 やきもの事典』(平凡社)によりますと、

  山茶椀(やまぢゃわん)
  東海地方の中世の瓷器系陶器窯で量産された日常用の食器の俗に行基焼・藤四郎焼と
  いわれるもので、山地に転がっていることからこう呼ばれる。

「山地に転がっている」とは何ともぞんざいな言い方ですが、展示されている出土品をみると、本当にそんな感じです。
展示を見ると一目瞭然なのですが、画像がなくて残念です。
無釉のお椀が、積み重なった状態で大量に出土しています。
なんだか瀬戸物のお店の店頭で飯茶碗や丼が重ねて紐で縛って置いてあったのが、ある日突然、ポンペイの遺跡のように火山の噴火で一瞬に埋まり、発掘されると、こんな感じかなと想像してしまいました。


《参考サイト》

  『常滑ラボ』様より 『中世の常滑焼』から 『山茶碗という焼き物(2002/12/21)』

  『財団法人愛知県教育・スポーツ振興財団 愛知県埋蔵文化財センター』様より
  > Downlords  > 研究紀要 > 第7号 >
    『山茶碗の用途をめぐって ─摩滅痕の分析から─』
  (http://www.maibun.com/DownDate/PDFdate/kiyo07/0708take.pdf)
  ※ PDFファイルで4.18MBありますので、リンクは張りませんでした。
 
  『瀬戸市』様より
  (http://www.city.seto.aichi.jp/files/rekishi/newpage3.htm)
  
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by honnowa | 2008-06-29 07:54 | 文化と歴史