ニュートラルな気づき 


by honnowa
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御本手茶碗

先日訪れた瀬戸蔵ミュージアム(08/06/17の記事参照)の中には呈茶コーナーがあります。
現代作家さんたちのお茶碗が50点ほど展示されており、自分の選んだお茶碗でお抹茶をいただくことができます。

c0100148_20182740.jpgわたしが選んだのはこちらのお茶碗。
柴田好寛(こうかん)作の「御本手茶碗」です。
このお茶碗を選んだのは、黄瀬戸、志野、織部、楽焼などが並ぶ中で、ふと小堀遠州展(08/03/13の記事参照)を思い出し、遠州好み風な薄手のお茶碗でいただきたくなったからです。
どっしりと、重厚な感じのお茶碗の中で、このお茶碗には軽みがありました。
そして係りの方から、「青い文字は『楽』しいという字だそうですよ」と伺い、ますます気に入ってしまいました。


c0100148_2025892.jpg一緒にいただいたお菓子は、「あじさい」です。
白餡を淡桃色餡で包み、その上に、賽の目に切った寒天が飾られています。
お茶碗の色と合ってました。
そしてお茶碗の柔らかなピンク色はお抹茶の色ともよく合っていました。
おいしいお茶とお菓子。
至福のひとときです。


ところで「御本手茶碗」とは、どういうお茶碗なのでしょう。
調べてみました。

『増補 やきもの事典』 (平凡社)によりますと、

  御本(ごほん)
  ①高麗茶碗の一種。御手本による注文の茶碗ということでその名がある。朝鮮の和館窯
  で、寛永年間(1624~44)から1717年まで対州宗家が仲介して焼かれた。茂三・
  玄悦・小道二・小道三・弥平太・大平・徳本の御本七作が作者として知られている。呉器・
  三島・刷毛目などの写しが多く作られたが、なかでも御本立鶴茶碗は名が高い。
  ②同上の茶碗は胎土の成分から淡紅色の斑紋が現れることが多く、そのような紅斑を指
  して呼ぶことがある。

  和館窯(わかんよう)
  釜山窯(ふざんよう)とも。1639年、徳川3代将軍家光の命によって朝鮮釜山の和館に築
  かれた対馬藩宗家(そうけ)の御用窯。対馬から宮川道二・大浦林斎・船橋玄悦・
  中庭茂山・松村弥平太らの陶工を派遣、家光下絵といわれる御本立鶴茶碗・
  判使(はんす)茶碗などの茶器や磁器も焼いた。作品は宗家から徳川将軍家へ送られ、
  茶人に珍重された。1717年閉窯。

  高麗茶碗(こうらいちゃわん)
  李朝時代の朝鮮で焼かれ、わが国に舶載された茶碗。高麗時代のものは僅かで、わが
  国で朝鮮を呼ぶ名称として高麗が用いられた。村田珠光によって侘茶が提唱される室町
  後期の16世紀末、それまで主流だった唐物(からもの)茶碗に替って茶湯の世界に登
  場、大いに賞玩された。天正年間(1573~92)後期には日本からの注文も始まり、
  1639年には釜山に和館窯が築かれて日本の陶工も渡って焼いた。主なものに井戸・
  雲鶴・三島・刷毛目・粉引・蕎麦・堅手・雨漏・熊川・斗々屋(ととや)・柿の蔕(へた)・
  呉器(ごき)・御本丸・金海・玉子手・伊羅保(いらぼ)・半使(はんす)・御本などがある。

今回のお茶碗は現代作家の作品なので、「御本」の②による分類でしょう。
小堀遠州は3代将軍家光の茶道指南役です。
御本の代表である御本立鶴茶碗も遠州展で観ました。
素人感覚で遠州好みに近そうなものを選んだら、このように繋がっていました。
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by honnowa | 2008-06-19 06:25 | 美術