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ニュートラルな気づき 


by honnowa
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源氏物語 なぜ『御法』の前は『夕霧』なのか

昨日07/12/29の記事のつづきです。

先に『夕霧』について考察し、つぎに『御法』を読むと、なぜこの順番なのか、ということに思い至りました。
『夕霧』の記事で、「この絵の前は風流な『鈴虫』で、後は紫の上が亡くなる『御法』ですから、ちょっと一息といったところでしょうか」と書きました。
絵的にはそうなのです。
いくら美しい絵でも何枚も同じようなのを見続けますと飽きますから、お口直しにちょうどいい感じなのです。
ですけど、口語訳のほうを読みますと、もう少し深い物語の構成の意図がわかります。

以下、引用はすべて円地文子の口語訳(新潮文庫)からです。

阿闍梨が落葉の宮の母親に、夕霧が宮のところから早朝に出てきたことを告げながら、(P118)

  それにしても困ったことです。御本妻の御威勢がまことに強い。お里方が今を盛りの御一
  族で大した権力です。お子さま方は、七八人にもなっておいででしょう。ここの内親王さま
  でも、上へ出ることはとてもお出来になりますまい。

花散里に答えて、夕霧は、(P163~164)
「南の御殿の上」とは紫の上のことです。

  それでも、私は決してあれのほうも疎かにはいたしません。失礼ではございますが、あな
  たさまなどの御身の上でもご推察下さい。女というものは、素直なのがついには勝ちをとり
  ます。口やかましく事を荒立てるのも、しばらくは面倒でもあり、うるさくもあるので気を遣っ
  ておりますが、男はいつまでもそう言いなりになっているわけでもないので、何か一騒動起
  った後では、お互いに厭気がさし愛想も尽きるものです。やはり南の御殿の上のお心遣い
  は何かにつけて御立派で、また、こちらのお心用いなどもとりどりにお見事なものと、近頃
  つくづく感じ入っております。

冷静に状況や夕霧の性格を判断すれば、雲居雁の正妻の座は揺るぎないので、同居していた三条の邸で様子を見ていればよかったものを、雲居雁はさっさと実家に帰ってしまいました。
ところが相手の落葉の宮は結婚状態になっても、まだ夕霧を拒み続けました。
そうでしょうとも。
亡き夫のよき友人として応対していたのが急に態度を変えられ、自身は内親王だから普通は独身でいるものなのに、最初の降嫁でさえ恥ずかしいと思っていたのが、さらに再婚ということになってしまったのです。
しかも夕霧の正妻は、亡き夫の妹なので、さらに恥ずかしく、そう簡単に納得できないのです。

ここで浮き彫りになるのは、雲居雁と紫の上との比較です。
紫の上は源氏から第一夫人のように大切に扱われましたが、ついに正妻「北の方」にはなれませんでした。
そして子供にも恵まれませんでした。
源氏には大勢の交際相手がいますが、どなたともうまく付き合って、おおらかに暮してゆきました。

『御法』では次のように書かれています。(P201)

  世の中には幸いを得て栄えていられる人でも、何ということなく世間の人々に妬まれ、身
  分が高ければ高いで際限なく驕り高ぶり、他人に辛い思いをさせる人もあるものである
  が、亡き紫の上は不思議なほどつまらぬ人々にまで好意を持たれ、ちょっとしたことをなさ
  っても、みな世間の評判がよく、奥ゆかしくて、その折々につけて気転がきき、まことに珍し
  い御気性であった。

紫の上がいかに素晴らしい女性であったかを称揚するために、前の巻きが思慮に欠ける雲居雁の登場となるのです。    

  
by honnowa | 2007-12-30 07:31 |