『若冲と江戸絵画』展より 気に入った作品11
2007年 06月 09日
金曜日の夜間営業を利用して仕事を終えてから観に行ったのですが、なかなか結構な人出でした。
ホッ。
4月の講演会で講師の山下先生が「名古屋は人が来ない」と仰られていたからです。
聴衆のほうは誰しも、「名古屋はどんなイベントでも始まりはこんなもんですよ。そのうち込むようになりますから。先生、あまり気にしないで。」と思っていたでしょうけど。
そんな若冲展も10日の日曜までです。
ぜひ、ご覧くださいね。
さて、やっとメインの一つである『紫陽花双鶏図』を取り上げます。
これを紹介するのを延ばしてきたのは、もう一度会場で見直してからにしたかったからです。
『紫陽花双鶏図(あじさいそうけいず)』(図録№49) 伊藤若冲
http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060512/p1
そのわけは、上記の山下先生がこの絵の薄塗りなこと、どころか重ね塗りが無いこと、紫陽花の花びら(正確には花びらでなく、ガクですが)の四辺形も、輪郭線を描いているのでなく、塗り残しで下地のままであることなどをレクチャーしてくださったからです。
真直に観ると、絹の織目が見えるそうです。
実際にこの目で確かめに行ってきました。
この絵もプライス氏のご好意で、ガラスケースなしで直に観ることができます。
とはいってもさすがに絹目を観ることは無理でしたが、いかに薄塗りなのかは確かめることができました。
背景の紫陽花、岩、石、下草などは水彩画のようですし、鮮やかな鶏と野バラも岩絵の具が重なったときのざらつき感がまったく見受けられません。
これだけ美しいにも関わらず、実物は意外に物としての存在感が薄いのです。
例えば油絵ですと、小さな作品でもキャンバスの厚みがあり、油絵の具の重なりがあり、さらに額縁という半立体的な装飾が付いて、絵の美的存在感とは別に、物体としての存在感が出ますが、それと対極で物体としての存在感が希薄な絵でした。
薄塗り、様式化され奥行きの乏しい構図、そして掛け軸というこれまた平面的な表装。
おかしな連想ですが、薄型テレビを思い浮かべました。
画像は大画面できれいで迫力がありますが、テレビそのものはブラウン管ほどの重みがない。
若冲の紫陽花の描き方を観て、他の画家はどのように紫陽花を描くのだろうと思ったら、ちょうど酒井抱一の作品で2点、紫陽花がありました。
それぞれの味わいがあります。
『十二か月花鳥図』(図録№90) 酒井抱一
http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060630113022
6月の絵にあります。
『四季草花図・三十六歌仙図色紙貼交屏風』(図録№91) 酒井抱一
http://f.hatena.ne.jp/jakuchu/20060609191141
右隻の左下に描かれています。
『紫陽花双鶏図』の記事は明日も続けます。