私はいつ若冲を知ったのだろう
2007年 04月 29日
明治大学教授の山下裕二先生による『若冲の親友 ジョー・プライス物語』です。
お話を伺っていて一番驚いたのは、若冲が世間に広く認知されるようになったのが、本当につい最近であること、そしてアカデミズムの世界ではまだまだの評価であることです。
今回の展示を観るとコレクションの質がどれほど高いかわかります。
しかも量が多い。
てっきり戦後の混乱期にまとめて流失してしまったものかと思いきや、そうではない。
プライス氏が初めて若冲の絵を手に入れたのは、1953年のニューヨーク。
大学の卒業記念にスポーツカーを買うつもりが、たまたま立ち寄ったお店で気に入り買ったのだそうで、しかも若冲ともなにも知らずに買ったのだそうです。
その絵が『葡萄図』という掛け軸、以来気に入ったものをコツコツと集められたようで、今回の展覧会のポスターにもなった『鳥獣花木図屏風』は、なんと1980年ごろとのこと。
しかもそのいきさつたるや・・・
お話の内容ここで書いていいのかしら。
やめておこう。
ただ業界ではどうということもない話かもしれませんが、素人が聞くと唖然とします。
そしてそのころでも若冲の扱いってその程度だったのね、とがっかりしました。
この絵がプライス氏のところに行って本当によかったです。
さて若冲は一体、いつ頃から広く世間に認知されるようになったのでしょう。
図録によると、在世中は高く評価されていたようです。
また第二次世界大戦前も『動植綵絵』を中心に高い評価が与えられていたそうです。
ですから忘れられていたのは戦後の一時期ということになります。
この時期は若冲だけでなく江戸文化、日本的なもの一切がっさいが捨てられた時期なので、仕方がないということですね。
さて再評価は1971年の『若冲特別展観』より始まり、2000年の『没後200年 若冲』で若冲ブームが始まったのだそうです。
ということは、わたしはいつ若冲を知ったのかしらん。
続きは明日にします。
伊藤若冲プロフィール http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060524/p2
プライス氏よりメッセージ http://d.hatena.ne.jp/jakuchu/20060419/p2