ニュートラルな気づき 


by honnowa
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井上靖 『姨捨』を読了

タイトル    姨捨
          (『井上靖集 新潮日本文学44』所収)
著 者     井上靖
発行所     新潮社
発行日     昭和44年1月12日発行
種 類     小説
内 容     姨捨伝説への氏の感慨
動 機     死をめぐって『補陀落渡海記』と対で読んでみる
私の分類   勉強





解説には私小説とあります。
姨捨伝説を通して、自身や家族のエピソードを連ねながら、氏は一族に流れる厭世観的性向に気づきます。
私小説がどこまで事実かという私小説論的な問題がありますし、まだ小説ばかり五作品を読んだだけなのですが、ここまでのわたし個人の見解として、氏の言うところの厭世観は氏と作品を理解する上でのキーワードのようです。 
しかし氏は一種の厭世観と表現しましたが、厭世観といっても辞書によりニュアンスもさまざまですし、氏の一族のケースは辞書的な意味合いとも違う何かなのですよね。
出家をしない一種の遁世、いや、これも違う。
どう違うかは、この作品と『花壇』を読めば明らかなのですが、どうもうまく定義してくれる言葉がみつかりません。
まあ昭和の文豪が一言で言えないことを、わたしごときが定義してみようとするのもおこがましいことで・・・
ここまで書いて、やっと今気づきました。
一言で言い表すだなんてとんでもない。
結局氏はそれを表すのに、『花壇』という文庫本にして444ページの長編小説を一本書いてしまったのです。
あらら、どうりで・・・
『花壇』で主人公が、一族に厭世観的性向があると思い巡らす場面があり、ふと奇異な印象を受けたのです。
あまり人が思いつかないようなユニークなエピソードだなあと。
氏には現実の身近なエピソードだったからなのですね。

『姨捨』の発表は1955年、『花壇』の発表は1975年、この間もこの一種の厭世観は時には家族の話題となり、時には沈潜しながら、氏の中で徐々に大きく膨らんでいったに違いありません。
この作品、『補陀落渡海記』でなく『花壇』と対になる作品でした。


※ 06/12/19、 07/1/12に関連の記事あります。
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by honnowa | 2007-01-09 00:20 |