ニュートラルな気づき 


by honnowa
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野分 2  夏目漱石 『野分』 1

先に読んだ『二百十日』で、二人の男の内の片方のテーマは「華族と金持ち」でした。
「華族と金持ち」を豆腐屋にすると息巻くものの、どこか滑稽です。
家業が豆腐屋意外に男の正体は分らないのですが、本人の中では世の中への思いが阿蘇の噴火のように相当なエネルギーが胸中を渦巻いていると錯覚しているようです。
しかし漱石が描写する、男の弥次さん喜多さんのような遣り取りは、とても本気で社会転覆を起こす活動家ではないことを示しています。

さて『野分』では三者三様の男が登場します。
道也先生のテーマは「人格」です。彼の考えでは高い人格は、地位や金銭、能力、才能を上回る最高の価値です。そのために田舎の教師を三度辞め、借金で貧乏暮らしをし、妻にも謗られますが、本人はいたって飄然としています。
自分の生き方に信念があるからです。

大学を卒業したばかりの高柳君のテーマは「高等遊民でないことの不平」ですが、夢見るばかりで結局生産的なことが何もできずにいます。
生活のために積極的に働いて貧しさから脱出することもせず、かといって自分の興味をとことん追求して著作を仕上げることもできません。
大学を出ればそれだけで世間がちやほやし、仕事が舞い込み、楽に生活できると夢見ていたのが現実はそうでなく、しだいに世の中から疎まれていると思い込むようになります。
彼のテーマはともすると「金の無いことへの不平」になりがちで、金が無くても平気な道也先生の境地に畏敬の念を覚えます。

高柳君と友人の中野君のテーマは「高等遊民を邁進すること」です。
鷹揚で、円満で、趣味に富んだ秀才で、富裕な名門に生まれた彼はまるで高柳君と対極な人物ですが、なぜか学生時代から仲が良かった。
しかし大学を卒業し社会に出ると、お互いの出自の差や性格の差がもたらす現実生活の格差をそろそろ気づきつつも、けして自ら友人を見捨てない人の良さを持っています。
風雅を愛し、恋愛にも一家言持つ裕福なお坊ちゃんの中野君ですが、実は高柳君よりも現実をよく知っています。
高柳君のように大学を出てすぐに社会に認められるなどとは夢にも思わず、上が詰まっているから自分たちの時代になるまでに何年も掛かると、淡々と著作を雑誌に発表してゆきます。

高柳君の考えは浅い。
死んでもいいと気軽に考えるのも(物語中、本人は気軽ではないのだが)、道也先生のようにこの世に生まれた仕事を果たそうと思う信念もなければ、中野君のように現実を愛する気持ちもないからです。
ラストの行動も短絡的で、あくまで自己満足で周りへの配慮が明らかに欠けているのですが、本人は真面目にものすごく良い思いつきで円満解決した気持ちでいるのがなんともおめでたい。

漱石はこの物語を通して仮にも大学を卒業したインテリであるならば、金に執着するな、金銭以上の価値を持って生きろと叱咤しているように思えます。
というのも高柳君だけが自分が不幸であると苛まれているからです。

漱石が意図していたかどうかはわかりませんが、私は達観した人間や明るい人間には運がついてくるとの感想を持ちました。
中野君は幸せを絵に描いたような人物だし、『二百十日』の豆腐屋も阿蘇の噴火見物を満喫している、そして道也先生こそ実は運がいい。
奥さんは不平を表しながらも借金の工面をする、借金は本人の知らぬ間に兄が立て替えてくれている、高柳君の行動で借金はチャラになった(但し著作が世に出るかどうかは中野君次第。高柳君は道也先生の著作が中野君を否定する可能性が大であることに気付いていない。また道也先生の兄の立場を悪くすることも知る由もない)、かつて悪さをした教え子が懺悔をするという、人格至上主義の先生が報われることが起こります。
野分の吹く演説会場でのウケの良さは、道也先生に演説の才があり、今後支持者を集めそうな期待感があり、このままの自分の生き方を変えずに自分の道を邁進できそうな予感があります。
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by honnowa | 2011-09-05 00:01 |