「ACT SHAKESPEARE」 2 シェイクスピアはどんな人物?
2009年 09月 15日
今回は劇のテーマに触れますので、スルーしたい方は宜しくお願いします。
画像はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
「ACT SHAKESPEARE」のテーマは、シェイクスピア自身の「私は何者か?」という自問です。
これはどうやらシェイクスピアの生涯に不明の点があり、洗礼や埋葬の記録から追えるシェイクスピアなる人物と、数々の戯曲の傑作を書いた人物とは別人ではないか?という説まであることを踏まえています。
そして、傑作を書くが故の悩みを訴えます。
作品があまりに人気を得て、作者を越えて一人歩きを始め、シェイクスピアは「マクベスを書いたシェイクスピア」、「ハムレットを書いたシェイクスピア」としか見られない。
「本当のわたしは何者だ」、「本当のわたしの姿を知ってほしい」
彼は、時には彼が創作した人物たちが、観客席に向かって訴えます。
これはジュリー本人にも共通するところですね。
現在でこそ、一時代を築いたテレビ全盛路線との折り合いを付け、60歳代という年齢の自身が感じるものを率直に歌に表現し、その制作態度を徐々に世間が認知していきつつありますが、そこに至るまでには長い年月と数々の試行錯誤と、周囲の期待と自分の本音との葛藤など、さまざまな戦いがあったのだろうなと察します。
シェイクスピアはロンドンで劇作家兼俳優兼劇場主として成功を収めた後、故郷ストラトフォードへ引退したと見られています。
劇の終わり方は、シェイクスピアの引退の理由の一つの解釈を示しているのかもしれません。
それにしてもウィリアム・シェイクスピアとはどんな人物だったのでしょう。
シェイクスピアと言えば、上の画像の顔を思い浮かべませんか。
舞台のほうでも、冒頭、薄暗い中に白い垂れ幕に描かれたこのようなシェイクスピアの顔から始まります。
残念ながらこの絵や舞台セットの似顔絵では、彼の個性を伺うことができません。
もしかしたらこんな人だったのかもしれないと思わせる作品があります。
杉本博司の写真作品、「Portraits」シリーズより、「ウィリアム・シェイクスピア」です。
画像は、「だまし絵」展 (名古屋市美術館 2009年)の図録よりP137
一瞬、シェイクスピアのポートレート?と思ってしまいそうですね。
もちろんそんな筈はありません。
また俳優が扮した写真でもありません。
これは精巧な蝋人形を撮影したものです。
その蝋人形も、現在に伝わっている数少ない肖像画を基に制作したでしょうから、この写真と記事の頭の版画図は、顔の造作の一つひとつはよく似ています。
なんだかやり手のビジネスマンのような顔ですね。
たいした家柄でない青年が都会に出て興行で大成功を収め、資産を形成して田舎に引退する、という経歴が似合いそうな風貌です。
ジュリーの演じるシェイクスピアは、ぜんぜんタイプの違う、よく動くお喋りな狂言回しです。
最後におまけです。
小田島雄志訳 『ハムレット』のカバー。
イラストは池田満寿夫さんでした。
《参考サイト》
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 「ウィリアム・シェイクスピア」
「HISTORIA」 > 逆引き人物伝 > 「ウィリアム・シェイクスピア」
(http://pezetairoi.hp.infoseek.co.jp/history/gyakubiki/Shakespeare.html)
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「『ACT SHAKESPEARE』 1 ジュリーとシェイクスピア」 (09/09/13)
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